公立小学校の「トンデモ」見聞録

道徳教育で「嘘」を教えるな!

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区を挙げた公開授業で未だに「江戸しぐさ」を教材として使ってるとか、ホント正気の沙汰か。

一方で「嘘をついてはいけません」と教えながら、

「良い言葉をかければ綺麗な結晶ができるとか、秘密結社による陰謀論や、江戸しぐさとか、学問的に明らかに嘘の話を子どもに伝えてはいけません」(碓井真史)

「江戸しぐさ」はやめましょう。:何が問題か。なぜ広がったか。

結論。大臣も官僚も平気で嘘をつく非道徳的なこの国で、「江戸しぐさ」などのニセ科学まで持ち出して「道徳」を教え評価しなければならない教師たちには同情の念を禁じ得ない。心が大事、意欲が大事なのは分かるけど、現在の教育行政がやろうとしてることは真逆。せめてその矛盾に自覚的であってほしい。

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「道徳授業地区公開講座」なるものに親として参加してみた

小学校に続き中学校でも「道徳授業地区公開講座」に出席。

ただの「クレーマー」にならないよう細心の注意(笑)を払いつつ一保護者の意見を伝えてきた。教科化に対する違和感の原因を縷々説明することも可能だが、こうして平然と「公」が内心に踏み込んでくることに対して、純粋にただただ「気持ち悪い」

素朴な疑問として、この「公開講座」なるものの主体を尋ねたが、この間、全国の公立小中学校では必須になっているらしい。都教育委員会が作ったというビデオ(洗脳?)教材を視聴した後に教員、保護者で意見交換という流れも決められているようだ。本気で意味があると思っているのだろうか…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

校長先生は答えの中で率直な葛藤も話してくれた。アリバイ的に全校挙げて道徳の授業をしたところで、「それだけで子どもの心は育たない」と。教育行政の思い付きで現場は混乱するばかり。行き届いた生活指導をさせたいなら、教員の多忙化を解消すればいいだけ。わざわざ教科化して評価する必要もない。

ビデオ教材では「多様な価値観」を尊重し「考える道徳」「議論する道徳」を目指すと強調していたが、公に認められた教科書を使って教科指導する以上、カリキュラム作成者の恣意性を完全に排することなど不可能。

「親には感謝しろ」「高齢者を労われ」「夢を持て」「思いやりを持て」「正直であれ」…。

わざわざ週末に公開してまで晒される子どもたちの「道徳心」とやらの背後には、表面上オトナ社会の望む「答え」を忖度して「良い子」になれる能力への過剰な期待(妄想)がある。

決して尊敬も感謝もできない「毒親」を持つ子がいる。夢も思いやりも持てない子がいる。その現実から目を背けて「道徳」などとほざくな

ここで中一長男の至言
ヒロアカの轟には『道徳』の授業キツかっただろうな…」。

もう、それに尽きる。

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公立小学校の「トンデモ」見聞録(番外編)

最後の「番外編」は、公立小学校に限らず
より普遍的な問題について。

年度はじめの全校保護者会で、校長から
「学校経営書なるものが配られた。
何のことはない、今年度の教育方針について書かれた資料である。
公的機関も企業並みのアカウンタビリティが求められる時代
とはいえ、学校も大変だ。

本校の教育目標は大きく4つ。
たくましい子
あかるい子
・かんがえる子
・やさしい子


ありがちな文言ではあるが、やはり前半の2つは引っかかる。
具体的には「心と体の健康づくりに努め~」とか、
「豊かな感性を磨き~」といった解説もあるので
わからなくはないが、とりわけ学校現場で頻繁に用いられる
「あかるい」については、その概念自体が非常にあいまいで、
違和感が拭えない。
求められる「よい子」像としての「あかるさ」とは何か?

さらに、「児童の実態」について記した
以下のような記述を見ると、さもありなんと思う。

「児童は本来、明朗闊達知的好奇心旺盛
活動的なものである」


果たしてそうだろうか?
みんながみんな、「あかるく元気よく健やかに…」といった
ことがあり得るだろうか。ひいては、「清く正しく美しく」的な
一定の価値を押し付けることにはならないだろうか?
「明朗闊達」でなく、「知的好奇心」もそれほどなく、
「活動的」でもない子の居場所は、学校にはないのだろうか?

先日、毎年恒例のお祭りに、地域の小学生も参加しよう
という趣旨で「絵のコンテスト」が行われた。
テーマは「夢」

長男ザウルスは、「動物とお話しがしたい」という
壮大な「夢」を用紙いっぱいに表現した

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親ばかながら愚息の絵心に感心した次第だが、
よく見ると冒頭にはこんな文言が…。

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夢をもちましょう!その夢をかなえましょう!

いや、言いたいことはわかる。
大人が子どもたちに託したい思いもわかる。
しかし、夢なんか誰かに「もちましょう」
言われてもつものか!?
…と。
そういうあなた方自身は夢をもっているのか?
そもそも、子どもが夢をもてるような社会を作っているのか?

巷にあふれる美辞麗句
いちいち気になるのは、自分がひねくれているだけ?

夢をもちましょう。
あいさつをしましょう。
きまりを守りましょう。
教科書を大切に使いましょう。
国を愛しましょう。


当たり前のように大人たちが振りかざす
一つひとつの「スローガン」について、
なぜ?と問い、自分の頭で考える力こそが
求められているのではないか。

そして、そうした力を養い育てる教育は、
やはり教育委員会や校長の発する「命令」に
唯々諾々と付き従うだけのロボット教員だけでは
不可能であることは間違いない。

公立小学校の「トンデモ」見聞録(5)

前回記した通り、長男クラス(1年)の担任の先生は、
「ここは保育園とは違う」という趣旨の発言を
事あるごとにする。

確かに、保育園でのびのびと育った子どもたちが、
チャイムで区切られた時間割にしたがい、分刻みで
行動するのは難しいだろう。

しかし、子どもたちにとっては唯一無二の
「ぼくたちの保育園」
であることに変わりはない。
大切な思い出の残る場所が、「お子ちゃまの遊び場」とでも
言わんばかりの扱いをされ、卒園児たちはどんな心境だろうか。

「名前すら書けずに(読めずに)入学してくる子までいる」
との愚痴も耳にした。
厚労省管轄の保育園では入学準備教育のようなことはしない
(なかには幼稚園に対抗して力を入れる園もあるようだが…)。

無料でしつこく送られてくる「しまじろう」は、
ひらがなが書けないと「カッコイイ1年生」になれない
と、親の不安を散々煽る。

しかし…

自慢じゃないが、ウチの子が通っていた保育園の
育児レベルはハンパない(父母の会会長として断言する)。
ひらがななんか書けなくたって、そこらへんのナンパな(?)
幼稚園児には体力でも精神力でも、ぜってー負けない

年中組からお泊り保育あるし、平気でのこぎり使うし、
調理もするし、年長組はなわとび側転、コマ回し、
戸板登りなんか全員でやるし、歌や劇の水準もかなり高い。

しかも、薄着で終日裸足

近くに引っ越してまで通わせた甲斐があった。
知らずに(希望せずに)入園させた保護者の評判も概ねイイ!
もちろん、課題はいろいろありつつも…。

共働き家庭の保育園児に対しては、いまだに
「小さいうちから保育園に預けられてかわいそー
的な哀れみの眼差しを向けられることがある。

小さいうちに親と触れ合う時間が長いに越したことはない。
他の子に比べて、平日に遊ぶ時間が限られているのは申し訳なく思う。

でもその分、保育園の先生やたくさんの友達から
あふれるほどの愛情を注いでもらった。
幼稚園では決してできないような体験もさせてもらった。

それらの体験を土台に、小学校でもきっと
大きく成長してくれるに違いない。
そう。公立校にどんな「トンデモ」があろうと、
そんなことはおかまいなく、その子はその子なりに…。

改めて、卒園式で歌ったあの歌を聞き返している。

さよならぼくたちのほいくえん
(作詞:新沢としひこ/作曲:島筒英男)

たくさんの毎日を ここで過ごしてきたね 
何度笑って 何度泣いて 何度風邪をひいて
たくさんの友だちと ここで遊んできたね
どこで走って どこで転んで どこでケンカをして

 さよなら ぼくたちの保育園 ぼくたちの遊んだ庭
 さくらの花びら 降る頃は ランドセルの1年生




(番外編)へつづく

公立小学校の「トンデモ」見聞録(4)

昨年、拙ブログの記事「無言で集中力向上!?」で
地元福島にもあった「トンデモ」校則を紹介したことがあった。

しかし最近、実はまったく他人事ではないことが判明した

なんと、長男のクラスでは全員黒板側(前方)を向いて
黙々と給食を食べているらしい
しかも、しゃべった子は前に出されてみんなの方を向いて
食べさせられるらしい

いずれも小1男子の拙い報告によるものだから、実のところは定かではない。
が、複数の証言から察するにあながちウソでもなさそうなのだ。

確かに、初めての保護者会で、年配の担任教諭から
「給食で『もぐもぐタイム』というのを設けているんです」
的な説明はあった。しかし、そのネーミングといい
語り口といい、およそ「無言給食」を想起させるようなものではなかった。

百歩譲って、始まったばかりの学校生活に慣れさせ、
まずは集中して食べられるようにという
教育的指導として、わからないではない。

先の記事で書いたように、元教員としては
動物園かと見紛うような給食タイムを
避けたいという気持ちも、まぁわかる。

しかし、学校はお寺修道院ではない。
清掃や給食は修行苦行ではない。

念のため家庭訪問の機会に、この道約30年という
ベテランの担任教諭へ直に聞いてみることにした。

「消化に悪いのでは?」
「せっかくの給食が美味しく食べられないのでは?」
と聞いたら、これまでも何度か繰り返してきたとおり
「時間内に食べさせなければならない」
「学校は保育園と違う
」旨を強調した挙句……、

「食育です」

と言い切った。

子どもの頃、牧師であった厳格な伯父には
「黙って食べるな」とよく注意されていた。
当時は、何を話したらいいかわからずに困ったものだ。
しかし、外国文化にも通じていた伯父一家にとっては
それが国際的なマナーであり、礼儀であり、しつけでもあった。

長男は保育園の卒園式で、「ひらけ!ポンキッキ」で放送されていた
「ドキドキドン!一年生」という歌を歌った。



歌詞にはこんなフレーズがある。

サクラさいたら 一年生
ひとりで 行けるかな
となりにすわるこ いい子かな
ともだちに なれるかな
だれでも さいしょは一年生
ドキドキするけど ドンと行け

(中略)

チョウチョとんだら 一年生
かばんは おもいかな
ねむたくなったら どうしよう
きゅうしょくは うまいかな
みんなも おんなじ一年生
ドキドキするけど ドンと行け


不安と期待の入り混じった卒園児たちを温かく
励ます応援ソングである。

ランドセル、教科書、授業、宿題、そして給食。
すべて初めての体験。
せっかく小学校生活のスタートを楽しみにしていたのに…

そんな思いが頭をよぎる。

(5)へ続く。
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