育休総括「ボクのパパ論」

再掲パパ論(4) 余暇が新しいモノを生む

総括の最後は、「なぜ休むのか」。

2005年度の男性育休取得率は、なんと0.5%
なぜ先進国の日本で、未だにかくも低いのか。
育休を取得しなかった国家公務員の男性に
その理由を聞いたところ、
他人の迷惑になる」が52.6%で最多。
収入が減る」(47%)、
代替要員がいない」(17.5%)などが続いた
(人事院調査08年2月)。

確かに小学校の教員時代はクラス担任だったこともあり、
休めば必ず誰かが代理で入らざるを得ないため、
病欠でさえ気後れしてしまい、
育休など夢のまた夢であった。

今回、育休を取れたのも
ある程度融通の利く職種だったこと、
かつて社長自身が育休を取った「実績」があったこと
など、多くの恵まれた要因があったからである。

「育休は権利だ」と主張するのも大事かもしれないが、
必ずしもそれだけが正しいとは言いにくいのが現状。
むしろ単純に、休ませた方が企業のためになる
そういう発想の方が大事のような気がする。

「上司より先には帰れないから」などという理由で、
仕事もないのにただ漫然と残業するより、
社全体が残業ゼロを目指して仕事の能率化を図り、
退社後はプライベートを十分楽しむように奨励した方が
残業代も減り(サービス残業は論外!)、
結果的に利潤も上がると思うのだが…。

スクール(school=学校)の語源が、「暇」を意味する
ギリシャ語「スコレー」だというのはよく知られた話。
最近読んだ『文章の書き方』(岩波新書)にも、
感覚を磨くためには、まず「ゆとり」が第一とあった。
余暇こそが、新しい発想と創造力の源泉である。

そして、人の親として一回り大きく成長できた者は、
社会人としても一回り大きな適応力と責任感を
習得できるはずだ。

政府の目標は、2014年度までに
男性の育休取得率を10%に引き上げることだという。
その実現のためには、社会全体が本腰を入れて
真剣に対策を考える必要があるだろう。(おわり)

(2008.6.18 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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再掲パパ論(3) オトコを見る目

「父親を楽しもう!」と提唱するパパたちの
NPOファザーリング・ジャパンで代表理事を務める
安藤哲也さんが、面白いことを書いていた。

テーマは「子育てするオトコの見分け方」。例えば、
「まずは彼を育てたお父さんの、父親OSを見よ
「デート中、街ゆくファミリーを見る彼の目線に注意せよ」
旅行中の振る舞いに気をつけよ
(旅館で『歯磨きどこ?』とか訊かないか)」
など。

なるほど!といちいち納得。
安藤さんいわく、「女性誌の結婚特集に『男の子育て』が
必要十分条件になりそう」だとか。
「結婚で重視することは?」という女性への質問に、
多かった答えの1位が「家事への協力」、
2位が「仕事への理解」だったという統計もある。
こうした要望に応えられない、または応えたくない男性が、
結婚生活に魅力を見出せないのが晩婚化の遠因では?
と指摘する声もある。

結婚する・しないは個人の選択であり、まして
それを許さない経済状況、社会状況があることは
十分にただしていく必要がある。
同時に、今どき料理ぐらいできなくては、恋愛すら
できない
ということを世の男性は肝に銘じるべきである。

そして、女性にはそれをしっかり見ぬく目を持ってほしい。
「付き合うまでは優しかったのに」
「結婚してから態度が豹変した」
「こんな人だとは思わなかった」…
そういう悲痛な女性の嘆きを聞くにつけ、
事前にそれを見ぬくすべはなかったのか
悔やまれてならない。

お互いの結婚観、家庭観などは、最低限、
付き合う中で確かめ合っておくべきことではないか。
表面を取り繕うヤサシイ男はいくらでもいる。
恋愛中ならなおのこと、必要以上に尽くそうとする。
口では「協力するよ」ぐらい言えるかもしれない。
しかし、いざ結婚してから、子どもが生まれてからでは
遅いのだ。

のらりくらりと言い訳をして、家のことに
協力しようとしない男性の態度を容認すれば、
そのままつけ上がるのは目に見えている。
女性が自分や子どもを守ろうとするなら、
男性よりも「賢く」なるしかない

失敗しない「オトコの見分け方」として(反省もふまえ)
冒頭の例に付け加えるならば、
「『男たる者』とか『女のくせに』とか言わないか」
「『俺と○○とどっちが大事なんだ!』と言わないか」
「ディズニー・ランドでの待ち時間が2人でもつか」
「対等にケンカ(暴力は厳禁!)できるか」
「親に反論できているか(マザコンじゃないか)」
「同性の友達が多いか」
「異性の友達もいるか」
 …あたりだろうか。(つづく)

(2008.6.11 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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再掲パパ論(2) まずは価値観の変革を

少子化対策や「子育て支援」のために
若い世代の労働条件(長時間労働・不安定雇用)の
改善が不可欠であることはこれまでにも度々触れてきた。

そこで、それらの環境整備を「ハード面」とするなら
もう一方の「ソフト面」(ソフト麺ではない…)
についての意見。

小中学校の家庭科では、衣食住にわたり
実にさまざまなことを習う。
1989年の学習指導要領改訂で、高校家庭科も
男女共に学ぶ必修教科として位置づけられ、
1994年には全面実施に至った。
にもかかわらず、卒業後、いざ家庭に入ってみると…。

このギャップには何があるのか。

昨年9月、内閣府主催のシンポジウムで講演した
ワーク/ライフ・コンサルタントの
パク・ジョアン・スックチャさんによれば、
出生率が先進国で一番高いアメリカは、
制度が手薄でも、会社が家族にやさしく、
父母も子どもたちと過ごす時間を増やすことに一生懸命。

「このような社会と個人の価値観、姿勢
子どもを生みたい、育てたいと思わせる環境になっている

と指摘し、「海外では、夫婦で生んだ子どもを
母親一人で育てるなんて最初から思っていない
父親、母親、子ども、そして社会にとっても、
誰にとってもよくないから」ときっぱり。

仕事一辺倒の父に育てられた多くの男性にとって、
育児に参加する父親のロールモデルは存在しない。
他に父親像、家庭像と触れる機会がなければ、
「父親が家事をしないのは当たり前」となって当然である。

逆もまた然り。同様の家庭で育った女性が、
「家事はわたしがやるもの。夫にはさせられない」
と思い込むことは想像に難くない。

現状では、残念ながら家庭以外の場で、
家族とは?育児とは?といった根本理念について
習う機会はほとんどない。

親の姿を見て倣う以外には、自ら培った知識、経験、
出会った友人などから学ぶしかない。
果たして、それでいいのだろうか。

加えて言えば、今日の教育システムでは、
多くの人々が男女の違い、社会と個人、
権利と義務、恋愛観、結婚観、職業観、
ひいては人生観などについて、
あまり考える機会がないまま大人になってしまって
いるのではないだろうか。

一つの答えが出ないまでも、
実際に家庭をもち、子どもを育てる状況になる以前に、
最低限考えておかなければならないことだと思う。

子育てや夫婦の関係についての講演会などで
「もう少し早く聞いておけばよかった」という反応を
多く耳にする。これらの感想が
「聞きたくても聞けなかった」「聞く場所がなかった」
「教えてくれる人がいなかった」という切実なSOSに
聞こえるのは、気のせいばかりではないだろう。

こういう話になると、すぐ「倫理・道徳」でモラル教育を
などという論議が持ち出されるが、それは本意ではない。

具体的にどんな可能性があるのか、
ここで提案することはできないが、
父親に「家事に少しでも協力を」と呼びかける前に、
夫婦または夫婦になろうとしている男女が、
結婚して家庭をつくること
父として、母として、一社会人として生きること
について、深め合う場が求められているように思う。(つづく)

(2008.6.6 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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再掲パパ論(1) なぜ家事を「分担」するのか

*3年前の記事なので「甘さ」も否めませんが、
 原文のまま再掲いたします。



そもそも、なぜ家事を「分担」するのか。
すべきなのか、しなくてもいいのか。

この問いこそ、「男女共同参画」や「家庭」を語る上で
もっと掘り下げられるべきテーマではないかと思う。
「仕事は男性、家事は女性」という主張を、
単に家父長制のもとでの世代的なものの考え方
としてとらえ、それに対するアンチテーゼとしてのみ
「分担」を考えるのでは不十分ではないか。

問いの答えはいくつか考えられる。

まずは、分担しないと生活がまわらないから。
これは一理ある。特に共働きの場合、実際問題として
2人で担わなければ、食事はもちろん最低限の
生活ができない。女性の帰りが遅ければ、
男性が何もせずに生きていくのは
物理的に不可能である。
だから、その時々でできる方がやる。
わが家はこのパターンに近い。

では、どちらか一方のみが働いている場合、
分担をする必要はないのか。
確かに、時間的には余裕があるので、
仮に片方が一切家事をやらなかったとしても
生活できないということはない。

しかし、「家にいる者は家事をすべて担うのが当然」
なのだろうか。もしそうだとすれば、
「仕事で疲れているんだから、家でぐらい休ませろ」
という一方的な論理を受け入れるしかない。
社会参加がままならず、一日中家にこもって
子どもと向き合っている方が「疲れていない」から
家事をしろというのか。
理由は後述するが、個人的には
たとえ相手が専業主婦(主夫)であろうと、
相応に分担すべき
だと考える。

もう一つ考えられるのは、
男女には得意・不得意があるから。
そもそも調理や裁縫、掃除、洗濯は女性が得意、
日用大工や力仕事は男性が得意だから、
そのように分担すればいいという考え。
確かに、センスの違いや体格などの
性差があることは事実。

しかし、それは一般的傾向にしか過ぎず、
カップルによっては当てはまらない場合もある。
よく言われるように、一流の料理人には
むしろ男性の方が多い。
さらに言えば、「不得意だからやらない」では
いつまでたっても克服はできない。
子どもの好き嫌いと同じレベルだ。

では、なぜ「分担」するのか。
大きな理由の一つは、やはり
2人でやった方が楽しいからだ。
もちろん、家事は楽しいことばかりではない。
毎日くり返される単純作業は、決して喜びだけで
こなせるようなあまいものではない(経験者談)

しかし、だからこそその負担は半分に減らし、
さらに上達する喜びは(共有して)倍加したらどうだろうか。
むしろ、2人の共通の趣味ぐらいに考えた方が楽かもしれない。
そのうち、お互いに切磋琢磨しながら
「この味付けはどうだ」とか「あそこの○○が安かった」とか、
共通の話題も生まれてくるはずだ。
育児を含め、家事の苦労と喜び、それを通した親自身の成長を
女性だけに独占させてはもったいない!

そしてもう一つ加えるならば、
家族の一員である以上、その生活を維持していくための
協力義務
がある。それは子どもにも言えること。

よく、家事を手伝わせてお小遣いをあげるという親の話を
耳にするが、これほど家事労働の価値・位置づけを
おとしめる行為はないと個人的には考える。

家事は、たとえ身内からでも報酬や代償を得て
行うような賃労働ではない。
「してあげる・してもらう」という関係とは縁遠い、
家族同士がいたわり合い、協力し合う中で行われる
極めてボランタリーな「奉仕」であるはずだ。 (つづく)

(2008.6.4 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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