原点としての「丸刈り」闘争

原点としての「丸刈り」闘争(番外編)

発掘した資料の中から、当時、
私の父が頼まれて寄稿したという手記
出てきたので、それを引用しつつ、
保護者の目にどう映っていたかを検証したい。

■番外編 親の視点

生徒の知らないところでは、こんなやり取りもあった。
PTA総会でのこんな一幕。

 「この際に先生方に是非お願いします。このような問題を考える時、顔をどこに向けるのかということです。マスコミがどう言ったとか、教委(教育委員会)の顔を伺うのではなくて、生徒達の質問、疑問、行動に真正面から向き合っていただきたい。憲法、教育基本法、子どもの権利条約を踏まえた教育の場にふさわしい対応を是非お願いします」

 期せずして(五人程でしょうか)会場から拍手がおこりました。その拍手を背に着席したというわけですが、当然おもしろくない人々もいたことでしょう。

 総会を終えて会場を出ようとした時、お二人の方に声をかけられました。お一人は、この四月に東京から転勤されてきたというお母さんでした。

 「(中略)今どきこんな世界(中学生男子全員が丸坊主にされる)があるなんて、とても考えられませんでした。この四月に福島に来て以来、ずーっと悩み続けていたのです。……」

 もうお一人は、学年主任の先生でした。私の双子の息子のうちの一人が、髪を伸ばしたまま登校していたからです。廊下を歩きながら、そして玄関先で話し合いました。

 「いろいろあるでしょうが、三年生のアルバム撮影がありますので、よろしくご協力をお願いします」

 「協力を惜しむつもりはありませんが、先ほど校長先生だって、丸刈りの教育的意義について知らないと言っていたではないですか。これこれの意味があるのでご協力下さいと言われ、なるほどと納得がいくのでしたら、喜んで協力させていただきますが……」

 「ですからこそ、ともかくご協力をお願いしたいのです。学校というところは一朝一夕には変わらないということを、あなたもご存知でしょう。それに、こうしたやり方(学校の規則を破って一方的に伸ばしてしまうこと)では、かえって問題が大きくなるのでは!?」

 「私だって、息子には無理して無駄なエネルギーを使う必要がないのじゃないか。どうせ、他の中学校が頭髪の自由化に踏み切れば、雪崩現象になるし、それも時間の問題だよ、と言っているのですが、納得しないのですね。外側にいる評論家と違って、当人たちにとっては真剣な問題なんだと思いますよ。それに、くどいようですが、丸刈りに意味があるのであれば協力を惜しまないと言っているのです。それなのに、問題が大きくなりますよ、だって? 教育的意義のひとつも説明できないものを押しつけようとされるなら、そんなものどんどん大きな問題になってほしいと思いますよ」

 これに対し、結局「とにかく、ご協力下さい」ということで、生徒玄関口でのお別れとなりました。


世が世なら、間違いなくモンスターペアレント
レッテルを貼られていたはず……
「この親にしてこの子あり」(笑)

しかし、高校教員の目からすれば
「入試で不利になる」とか「高校の先生に目をつけられる
などと言って生徒を脅し、従わせるやり方は、
さぞ滑稽に映ったことだろう。

兄は結局、長髪のまま卒業アルバムに載り、
頭髪規制も父の指摘どおり、なし崩し的に解除された。

今となっては、父に声をかけてきた母親が言うように
「こんな世界があるなんて……」
というレベルの笑い話にしかならないが、
鹿児島県を中心に、いまだ「丸刈り」を続けている
学校が数十校も存在する。

しかし、問題は「丸刈り」ばかりではない。
非行の防止」「伝統の維持」などという美名のもとに、
信じられない人権侵害が平気でまかり通っている。

そして何よりも怖いのは、それが
当たり前の世界では、当事者である生徒や教師が、
何の疑問も抱かず(抱けず)に隷従してしまうということである。

かつて、上官には絶対服従を強いられ、
国のために死ぬことが当たり前だったように……。


かつてない長期連載を
最後までお読みいただきありがとうございました

*書きながらもう一つ、顧問の暴言を思い出したので、
 第3話に加筆しておきました。

原点としての「丸刈り」闘争(最終回)

■第5話 卒業~さらなる落胆

最後の抵抗も「空振り」に終わり、
何事もなかったかのように日々が過ぎた。

そして、卒業。
記念文集に私はこう書いた。

結局、生徒の意志では、活動することもそれを知らせることも自由ではなくなっている。各教室に掲げられた「教育目標」は形だけで、いくら金や銀の額ぶちで飾ろうと、“生徒の自主性”は育つわけがない。民主主義を教えるはずの学校が、エリザベスのまねして「絶対先生(王制)」などをやっている。そんな中で生徒が育ったら、自主性のない、誰かに指示されないと行動できない、自分で発言することのできない、無関心、無感動の人間になってしまう。僕がずっと思ってきて、ずっと言いたかったのはそれだ。

ちなみにの文章はこう結んである。

3年生を長髪で通した私としては「頭髪問題」のおしゃべりをしても良かったが(そもそも学校の指導権限の届く範囲は……)、それは止めた。――おや、どこからか安堵のため息が聞こえる。職員室かな? まぁいいや、あまり気にしないことにしよう。

おそらくこんな調子で「生意気」を語っていたのだから、
担任がキレるのも無理はない……
そんな兄も、今では都内の教会で伝道師をしている。

さて。

無事に入試をクリアし、心機一転
新しい高校生活に踏み出そうとしていたころ。
耳を疑うようなニュースが飛び込んできた。

次年度から頭髪が自由化されるらしい。

もちろん、私たち卒業生には何の説明もなかった。
どうやら、年度末の入学説明会でそういう「お知らせ」があったようだ。
「自由化」の理由については特に知らされていない。

まさに青天の霹靂度肝を抜かれた。
これまで要求してきたことが実現し、かわいい後輩たちが
その恩恵を受けることは、むしろ喜ばしいことである。
「俺たちは坊主だったのに……」などとひがむ気持ちもさらさらない。

しかし――

あれだけ散々、生徒会の要求を拒み続け、
話し合いが不十分」「拙速すぎる」などと理由をつけて先延ばしにし、
さも「頭髪規制」には意味があるかのような根拠のない
理屈を押し付けておきながら、今さら何なんだ

しかも、ある卒業生は「お前たちの運動の成果だ」
などと教師に言われたらしい。

ふざけるな

長い時間と労力を費やし、どうしたら生徒の共感を得ながら
学校側の論理を乗り越えることができるか、
中3なりに無い知恵を絞りながら考え、活動してきたのに……。

結局、他校が相次いで「自由化」に踏み切るなか、
時流に流される形で「改正」したに過ぎない。
要はタイミングを見計らっていただけなのだ。

学校というシステム、教師やオトナが作りだす建前への
失望落胆頂点に達した。
「こんなヤツらに教師をやらせておくわけにはいかない」

それが、大学で教育学部に入り、
教員を目指すことになった「原点」である。

それからおよそ10年後、念願の教員になることができた。
ただ、在職期間が短かったこともあり、
当時の経験を生かして児童会に深くかかわり、
実りあるものにできなかったことは、心残りの一つである。

教員を経験した今、当時の顧問や担任の気持ちが
分からないでもない。

しかし、せめてあの時、「教師にも立場ってものがあってな…
とか、「自分で考えることは尊い」という教師個人の生の声
少しでも聞けたら、抱いた感情は違っていたかもしれない。

その意味では、話の面白い先生、
懸命に授業を工夫してくれた先生はいたが、
生徒会の活動に関心を持ち、
対等の立場で生徒の主張に耳を傾け
応援してくれた先生は誰ひとりいなかった。

おそらくあの顧問も、ただ「若手」だというだけで
生徒会に関しては丸投げされていたのだろう。

一方、この問題を通じて、他校の生徒会役員
良心的な教師にも出会うことができたのは幸いだった。
市民主催の集会にパネラーとして参加するという
貴重な機会も与えられた。
おそらく、不特定多数の見知らぬ人の前で話をしたのは
これが最初である。

今日の学校現場で、子どもの自主性は育っているのだろうか。
教師や保護者と向き合い、対等に話し合える場はあるのだろうか。
生徒会は、教員のこまづかいではなく、自発的に行動できる
自治組織として機能しているのだろうか。

もはや教員ですら、自主的な発言も教育実践も許されない
都立学校の現状では、およそ望むべくもない。



番外編 親の視点 へ続く)

原点としての「丸刈り」闘争(4)

■第4話 最後の抵抗

担任の許可のもと、「学活」の時間を2時間
使って校則について話し合った。

その結果、話し合った内容や、すでに行っていた意識調査
(第2話参照)の結果などを、3年●組の名前で校内に掲示する
という案に、クラスのほとんどが賛成した。

しかし、担任は
「掲示するには許可が必要。そういうことは、
マスコミや高校の教師に目をつけられることになる
などの理由から認めなかった(話し合うだけならOK)。

しかし、このまま引き下がるわけにはいかない

掲示するのがダメなら――。

当時の学級委員長の助けも借りて
(半ば強引に誘って…!?)、休み時間を返上し
全クラスの学級委員に直接プリントを手渡すという
ゲリラ戦法をとった。無論、担任には内緒で。

その資料には、次のように記した。

 このクラス決議をどうにかして他のクラスにも伝えようと、こういう形で全クラスに配りました。みなさんのクラスにも、今の校則について、疑問や不満を持っている人がいると思います。学活などの機会に、クラスの中の意見を交換してみてください。

(中略)

 上は話し合いのときに出た意見や、今までの学級での意見の一部です。いくつかのテーマを挙げて、それについての意見を出し合ってみてください。もし話し合ったクラスは、その内容や意見などを代議員(各クラスの学級委員)から出してください。本当は、生徒だけとか先生だけで話し合っても進歩はないと思うんですけど…。やはり、生徒と先生が直接意見を交換できる場がほしいと思います。

3年●組 クラス一同  *原文ママ


当然、その日のうちに噂が広まり、
激怒した担任から学級委員長共々呼び出された。
それもそのはず。クラスの中だけで穏便に済ませようと
思っていたのに、まさに飼い犬に手を噛まれるような
格好になったのだから……。

職員室の奥にある「生活指導室」に入ると、
さっそくどこかで手に入れビッシリ
赤字を書きこんだプリントを前に、担任が座っていた。

「あれほど『目をつけられる』と忠告したのに……」

延々と続いた説教の中身はほとんど記憶にない。
ただ、次の言葉だけは覚えている。

担任はお前たちの親同然だ。
 子どもの心配をしない親がいるか?」

それまで黙って聞いていた私は、不覚にも
この発言を聞いてあふれ出る涙を止められなかった。

それは、決して感動の涙などではない。
親の名を語ってまで生徒たちを黙らせようとする
教師たちの傲慢さに対する憤り
(自分の親は決してこんなことはしない)、
そして最後の抵抗が失敗に終わり、
すべての道が断たれたことの無念さによる涙だった。

あれだけ「話し合え」と言っていたではないか……

こんなに頑張っても分かってもらえないのか……

おそらく担任は、自分の説得を聞き入れ
「涙を流して反省した」とでも思ったのだろう。
満足そうな表情で私たちを教室に帰した。

残された抵抗の手段は、卒業までのわずかな期間。
髪を切らずに伸ばし続けることだけだった。

第5話 卒業~さらなる落胆 へ続く)

「らしく」「らしさ」の欺瞞性 【再掲】

*かつて勤めていた小学校で、中学時代の「丸刈り」
 について言及した拙文がある。以下に再掲したい。


 「正しい日本語」がブームである。もちろん誤った語句や文法は訂正すべきだし、古くからの用法や語源を知っておくことは、語彙を豊かにするために必要なことでもある。が、新しく生み出される日本語の「違い」(「間違い」ではない!?)に目くじらを立てて、生きて変容し続ける言語の可能性を奪いかねない今の風潮には、いささか賛同しかねるところもある。今の用法が「正しい」か「正しくない」かよりも、なぜそのような使われ方をしているのか、そうした言語文化の背景には何があるのか、の方がよほど重要に思えるのだ。

 ブームのよしあしは別として、私にも気になっている言葉がある。それは、「らしく」と「らしさ」である。何事も特定の概念によってカテゴライズすることは非常に危険であり、そういった手法や傾向には常に気をつけておかなければならない。

 男子校である本校では、よく「男の子らしく」という言葉が使われる。自戒の意味も込めて言うと、「男なんだから泣くな」とか「女みたいにうじうじするな」などといった発言を、つい口にしてしまいがちである。果たして、「なよなよ」して弱々しく性格も暗い男の子「らしくない」(?)子はいてはいけないのだろうか。逆に、四十人全員が明るく朗らかで素直な「いい子」ばかりの教室を想像してみると、気味が悪くないだろうか。

 私自身も、「らしく」には苦い思い出がある。地元福島の公立中学に進む男子生徒は、「中学生らしく」という名目で全員強制的に丸刈りにされた。丸坊主でないと「中学生らしくない」らしい。今思えばあまりに突飛な発想で愕然としてしまうが、当時の私たち田舎の中坊たち(そして地域の保護者たちも…)は、「まぁ、そんなもんか」と納得していたのだ(それでもさすがに、生徒会でささやかながら抵抗を試みたが…)。思い込みって恐ろしい。

 数年前の児童会で、「冬に半ズボンは寒いから長ズボンを許可してほしい」という提案があったらしい。しかしその時、「制服やランドセルは本校の伝統だから変えられない」という意見が、なんと子どもたちの中から出て、あっさり却下されてしまったと聞く。提案の是非は別問題としても、「伝統だから変えられない」という発想自体が実に保守的で、あえて言うなら、子ども「らしくない」。

 ○○小学校「らしさ」とは、何も児童の制服姿を指すのではない。キリスト教「らしい」香りを漂わせ、礼儀正しく整然と歩くことでもない。そもそも「○○生らしく」なければならない理由があるのだろうか。そんなに、他校の小学生と比べて違うものだろうか。というより、それほど違わなくてもいいのでは…。他校に通う小学生だって、一所懸命「小学生らしく」生活しているに違いない。

 公立の学校も、「構造改革」と「自由競争」の煽りを受け、学校の独自性を打ち立てようと躍起になっている。習熟度別クラス編成、二期制への移行、英語教育の導入など。付け焼刃の学校「らしさ」を競い合わされ、現場は混乱している。公立と私立の差別化は当然起こり得る。私立はその環境や教育方針などを基準に、保護者のニーズによって「選ばれて」いるわけだから。しかし、現場の教師は皆、社会に貢献する人材を育成すべく、日々の教育活動に励んでいるに違いないのだ。

 求められる「らしい」あり方。その言葉に覆われて見えにくくなっている面にも目を向けなければ、本当の「らしさ」には近づけない。かつて「自分探し」がもてはやされた時代があったが、そもそも「自分らしさ」とは何だろうか。他の誰でもない「自分」が、そのままの存在として、いま現にここにいるということ自体に価値があるように思う。そして、「自分らしさ」が他者の存在なしには成り立たないように、「男の子らしさ」も、違う存在がいて初めて分かるものである。「日本らしさ」とか「特有の」文化は、それが世界の文化の中に置かれてみて初めて客観的にそう言えるのである。

 ここだけが全て、この生き方、この道だけが全て、ここから外れたらお先真っ暗、人生台無しなどと決して思わないでほしい。世界は広い。世間の「らしさ」にはめ込まれる必要はない。

(2006.2.10 PTA通信 ��2486 より)

原点としての「丸刈り」闘争(3)

今回は第3話への導入として、同学年に在籍していた
双子の兄について言及しておきたい。

体格から性格まで、とても「一卵性」とは思えないほど
似ても似つかない兄弟だったが、同じく頭髪規制には
思うところがあり、中3の4月から髪を伸ばし始めた。

もともと髪型を気にするようなタイプではなかったが、
無意味な規則に従わせようとする学校側の姿勢
に対する静かな抵抗だったようだ。

グレているわけでもなく、いたって真面目な
「優等生」が、確信犯として自己主張を始めたので、
教師たちはさぞ対応に苦慮したことだろう。

校内ではただ一人の例外だったが、
なぜか厳しく注意しようとする教師は少なく、
卒業まで事実上黙認された。
勉強ができようができまいが、どんな生徒にも
公平に指導するという気概のある教師がほとんど
いなかったことも、失望の度合いを深める要因になった。

さすがに担任は注意しないわけにもいかず、
事あるごとに対立していたらしい。
「表現の自由」などを根拠に理路整然と反論した兄に対し、

「学校内では憲法なんか関係ない!」

と怒鳴ったこともあった。
中堅の数学教師だったが、あまりのお粗末さに言葉もない。

そんな同姓の兄がいたので、外野からは
「弟は伸ばさないのか?」といった野次馬的発言も聞こえてきた。
こちらは生徒会役員としてきっちり筋を通し、
改正への道筋を切り拓いた上で「伸ばそう」と
考えていたので、兄と同じ手法は取らなかった。

(これでも分かるとおり、親は私たち兄弟に「伸ばせ」とも
「伸ばすな」とも言わず、私たちは自分で考え行動した)


■第3話 決戦の時――生徒会総会

待ちに待った生徒会総会の日が来た。
生徒会報の発行がままならない中、全校生徒に訴える
機会はここしかない!と決めていた。

通り一遍の議事がすべて終わり、「その他の質問」
に移ったタイミングを見計らって、私は挙手した。

壇上に上がり、用意した原稿を読み上げた。
公約実現に至らなかった役員としての力不足を率直に詫び、
これまで公にできなかった取り組みの経過
教師による検閲などの問題をここぞとばかりぶちまけた。

議場は一瞬静まり返った。

多少言い訳がましかったかもしれないが、
私としては伝えたくても伝えられなかった思いのたけ
聞いてもらえた達成感もあり、
次期の生徒会役員がこの問題をしっかり引き継いでくれることを
確認して降壇した。

ところが――これで事態は終わらなかった。

間髪入れず、今度は兄が手を挙げた。
「学校側の返答をまだ聞いていない」と食い下がったのである。

さらに、この発言で勢いを得た生徒たちの不満が
堰を切ったように噴出し、議場は一時騒然となった。

ここで事態の収拾を図ろうとした生徒会の顧問は、
議長を務めていた下級生に指示を出し
「そういう問題は、この場で話し合うものではありません」
発言させ、議論を打ち切らせた。

なおも反論しようとした兄に対し、こともあろうにその顧問は
「議長の指示に従ってください」
と、したり顔で言い放ったのだ。

会議においては議長の発言が絶対であることを
十分認識していた兄は、返す言葉もなく壇を降りるしかなかった。
真面目で「賢い」彼の性格を十分知った上での
顧問の発言に、大人の卑劣さを見せつけられた思いがした。
あの場面は、今でも忘れられない。

顧問はさらに、「まずは各クラスで十分話し合うべき。
下からの積み重ねが大事」というその場しのぎ
もっともらしい口実を加えるのも忘れなかった。

総会後。

これで終わらせるわけにはいかないと、
残された任期で少しでも状況を変えるべく、
生徒会役員はさらに攻勢を強め、
思いつく限りの計画を立てた。

当時、赴任したばかりだった校長は比較的理解のある人で、
直接インタビュー(校内放送での企画)を申し込むと、
顧問の了解があれば受けてもいい」と前向きの返事をくれた。

しかし、当の顧問に確認したところ、「まだ十分に練れていない。
生徒会の放送は、委員会活動のお知らせの放送であって、
本部(執行部)だけのものではない。強行でやっても、
その後、生徒会が活動しづらくなるだけ」との理由から中止

全校生徒を対象とする意識調査の原案を提出すると、
「先生方の承諾を受けなければならない。職員会議に諮ってみる」
との口実でまたも保留となり、結局実現には至らなかった。

自分たちで考え、意欲的に行動した役員たちの努力は、
教師の都合によってことごとく遮られ、報われることはなかった。

やはり生徒会としての活動には限界がある。

度重なる挫折でそう見切りをつけた私は、
いよいよ最後の手段に出た。

第4話 最後の抵抗 へ続く)
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