れびゅう Book

ヨブ記からの問いかけ

新教出版社が発行する月刊誌「福音と世界」
8月号の特集は、ズバリ!「ヨブ記と神義論」

8767576c.jpg

震災後、一般誌を含む様々な媒体で
「ヨブ記」に関する言及を目にしてきたが、
そこはさすが専門版元の強さというべきか、
最も的を射た誌面というのが率直な感想である。
ライバル誌ながらあっぱれ

なかでも、「ヨブ記」に関する著書の多い
国際基督教大学名誉教授の並木浩一氏による
寄稿「ヨブ記からの問いかけ」は必読である。

並木氏は、ユングをはじめとする多くの知識人が
「彼(ヨブ)の問いを取り上げない神の弁論を
神の苦し紛れの力の誇示と見なして評価しない」
と指摘する。

まさに、私が目にした多くの非信徒による
「ヨブ記」解釈はこの類がほとんどであった。

文中でも紹介されているとおり、
阪神・淡路大震災の後に「苦難を超える」と題して
講演した、かの吉本隆明氏も然り。
「サンガジャパン」vol.6に寄稿した
『ふしぎなキリスト教』の大澤真幸氏も然り。

しかし、並木氏はこれらに鋭く切り込む。

 神の弁論において、もし神がヨブの問いに少しでも答えるならば、苦難から不条理は取り去られ、世界事象のすべては神意のもとでの必然となる。世界の内部の事柄が人間の責任であるという基盤がなくなる。世界のあり方についてヨブに示されたのは、神が悪を欲しないという意志だけであった(38:12-15、40:11-12参照)が、それは人間が非力であっても、正義を実現する責任があることを示唆する。もし有責者が神であるなら、人間の主体性も自由も成立しない。神が人間のモラルの問題に直接の答えを与えなかったのは当然であった。ここから神のモラルに対する無関心を読み出してはならない

 ……しかしその世界は神の統治の妙が働く「外部世界」である。人がそれを認識することは二重の意味を持つ。第一に、人間は外部世界で意味を持つ弱肉強食の掟を人間世界に持ち込んではならない。第二に、人間は外部世界の秩序に無制約に介入してはならない。そのような介入は越権である。被造物を「支配させよう」(創世記1:26)という人間に対する神の配慮は、創造の秩序をかき乱さないという義務を伴うと理解すべきである。人間が生を維持するための文明は自然界に対する干渉によって成り立っていることは否定できない。それゆえにこそ自然界の一員として創造の秩序を守るべき人間の責任が発生する。

 ……今回の東日本を襲った大地震と津波の発生は北米大陸プレートが過去に数百回も行ってきた自然界のリズムによる。このリズムに十分な顧慮を払った生活形態を築かなければ、人びとは再び悲惨な状況に追い込まれるであろう。ヨブ記は今日、人間に固有な責任の確認と外部世界の独自性の承認とをわれわれに問うている。

*太字は引用者



……スッキリ


アプローチの仕方が異なるものの
本誌にも欲しかった、この「スッキリ感」
やはり、学者センセイの説得力は違う。
我々凡人にはとうてい及ばない

そーか、「ヨブ記」ってそーゆー話だったのか、
と今さらながら納得した次第である。

ついでながら、「神義論」を考える際に
いつも思い出す作品がある。
それは、2009年に加瀬亮岡田将生
W主演で映画化もされた……

71bcd5f0.jpg

伊坂幸太郎『重力ピエロ』
(新潮文庫・2006/7)


重い運命を背負った次男の出生に際し、
決断を迫られた信仰も持たない父親が、
とっさに神に問いかける場面で、
天から答えがはっきりと聞こえる。

「自分で考えろ!」

父は言う。

「考えてみると、これは神様の在り方としては、
なかなか正しい


「ヨブ記」の「ヨ」の字も
「キリスト教」の「キ」の字も出てこない
気鋭の作家伊坂幸太郎による現代小説。

真理は案外、身近な所に隠れているものなのだ。

特集「震災と祈り」 サンガジャパン Vol.6


ダウンロード
(サンガ・2011/6)


以前から存在は知っていたのだが、
今回の特集を機に初めて手にした。
この充実度……


ハンパない


仏教系の雑誌であることには違いないが、
とかく執筆陣が幅広い

大澤真幸(社会学者)、玄侑宗久(作家)、島田裕巳(宗教学者)、
名越康文(精神科医)、鎌仲ひとみ(映画監督)、
想田和弘(映画監督)、釈徹宗(如来寺住職)、
末木文美士(仏教学者)……などなど。 *敬称略

そして、本誌「Ministry」の「ハタから見たキリスト教」
にご登場いただいた松下弓月さん(彼岸寺住職)と
香山リカさん(精神科医)も緊急アンケートに答える形で
登場している。

それぞれの主張については異論もあるが
(特に『ふしぎなキリスト教』著者による「ヨブ記」解釈など)、
立場や信仰の異なる人々がこれだけ
同じ仏教誌に載ることには大きな意義がある。

少なくとも、震災後のキリスト教誌にはできていない。
宗教者にとって、上田紀行さんの『慈悲の怒り』と同様
耳を傾けるべき「言葉」があふれている

さらに特筆すべきは、「早い段階から支援活動に取り組んでいた」
キリスト教団体の活動についても写真入りで
3ページにわたり紹介していること。

北仙台カトリック教会の炊き出しや
仙台キリスト教連合の取り組みが、
吉田隆牧師(改革派仙台教会)のインタビューを
交えて掲載されていることには驚いた。

「仏教のリアルを探す総合誌」
と銘打たれた季刊誌「サンガジャパン」は、
創刊号で「カルマに生きる僕たちが脱出を試みるとき、
時には道しるべになり、時には支えになり、
時には自らを奮い立たせる本でありたい」と宣言している。

「次世代の教会をゲンキにする応援マガジン」を謳う
「Ministry」にも通じるコンセプト。
定価は本誌の方が安価だが、決して損した気はしない。
何部売れてるのか気になるところではある。

ちなみに既刊号の特集は、
「死と仏教」、「仏教と女」、
「仏教心理学は現代人の心にどこまで迫れるのか」、
「がんばれ日本仏教」、「瞑想とは何か」。

今後の誌面展開からも目が離せない

ドキュメンタリーの力


鎌仲ひとみ・金 聖雄・海南友子
(子どもの未来社・2005/3)


「ヒバクシャ――世界の終わりに」 (2003)、
「六ヶ所村ラプソディー」(2006)の監督として
原子力の問題に焦点を当ててきた鎌仲ひとみさんが、
「3・11」の原発震災後も精力的に発信を続けている。

メディアの立つべき位置を求めて、
6年前に刊行された本書を手にした。

実は著者の一人である海南さんとは、2005年1月に催した
「にがい涙の大地から」の自主上映会でご一緒したことがあった。
被爆体験の「語り継ぎ」を目的とする「VOICE
(被爆体験を語り継ぎ、核兵器の使用を許さない北区青年の会)
」の
メンバーらが中心となり、地元のあらゆる組織、団体に後援を募って
午前、午後の2回上映で延べ400人を動員するという
かつてない大きな取り組みだった。

大手マスコミ(NHK)の報道現場から独立したという経歴が
身近に感じられ、テレビ・ニュースのつくり方に関する文章
「分業体制の弊害」「記事に責任をもてない体制」
「限られた時間・場所の制約」「つくり手の孤独」
などについては
大いに共感できた。

特に以下の部分は、まったく同感である。

 私は、そもそも、普遍的な“真実”など存在しないと思っている。どこでどんな形で作品に取り組もうと、最後に画面に現れている“真実”は“ある視点”からの“真実”にすぎない。だからこそ、いったい誰がどの現場でどんな形で取材した“真実”なのかということがより重要になってくる。

 ……繰り返しになるが、テレビでより多くの人に伝えた方が良いテーマも多い。また、実際にこの世に流れている映像の大半はテレビのようなマスメディアから流れてくる。だからこそ、メディアから流れてくる情報の中の“真実”の背景がどんなことになっているのかを見きわめる目が必要なのだ。


そして、以下の指摘は、情報の「送り手」も「受け手」も
共に心に刻んでおくべきことだと思う。

 父と訪ねたさまざまな場所で、差別や不公平に苦しめられる人々がいて、彼らを苦しめる人々がいた。その一方でそのことに気がつきもしない善良な加害者の存在もみてきた。この三つの立場の中で、最もたちが悪いのは三つ目の無知で善良な加害者だ。誰かが虐げられているときに、そのことに関心を払うこともなく通り過ぎる人々の罪は重い。(海南)

 メディアは、時には私たちの命を左右するような存在だ。イラク戦争の時、アメリカの圧倒的な情報戦略によって、何十万発ものミサイルがイラクに撃ち込まれ、すでに10万人以上のイラクの市民が亡くなった。アメリカ軍の兵士も日々、戦死している。そのような事態を生み出した一翼を、マスメディアが担っていないと誰が言えるだろうか。そして、そのようなマスメディアの状況を許しているのは誰でもない、視聴者である私たち自身だということを知らなければならない。(鎌仲)

*太字は引用者

オタクのリアル

「リアル」三段活用……ではありません


安田誠『図説 オタクのリアル~統計からみる毒男の人生設計』
(幻冬舎コミックス・2011/3)


実は、聖書トレカでお世話になったサイドランチさんと
そのスタッフさんが携わった新刊なのですが、
実によく出来てます(お世辞抜きで)

オールカラー159頁というボリュームで、1500円
……参りました

装丁も挿絵も「萌え」色濃厚ですが、
中身はいたって真面目な統計学的オタ分析。

・年収300万円以下の就業者は 42%
・オタク人口は 172万人
・コミケ参加者は年間 129万人 
・日本一売れている漫画は『ワンピース』の 2億冊以上
・ドラクエ�\の平均プレイ時間は 183時間
・コミケのサークル代表者の平均年齢は 30.3歳

……といった数字からは新たな発見

日本の人口が1億2千万人だとすると、オタクは実に1.4%
0.9%と言われるクリスチャン人口を上回る勢力

しかし、ほぼ同数の129万人が1年間のコミケに
参加しているという事実は驚異的。
ゲームショーが20万人
モーターショーが61万人
江戸川区花火大会が139万人
明治神宮の初詣が320万人という数字と比べても
その凄さはケタ違い

ちなみに最後の項は、なぜか……

・神の存在を信じる人は 33%

ついでながら、「悪魔を信じる人」は4%(爆)。

やはり、宗教とオタには切っても切れない関係が…。

いま宗教にできること、できないこと


三土修平『いま宗教にできること、できないこと』
(現代書館・2011/2)


 一見おカタい哲学本かと思いきや、かつて一世を風靡した『千の風になって』から宮崎駿監督のジブリ映画『魔女の宅急便』、相田みつをの詩、果ては中島みゆきの歌に至るまで、実に幅広い作品が、読者の理解を助けるための題材として登場する。

 さらに、「葬式仏教」の課題にとどまらず、被爆医師の永井隆コルベ神父ヨナのニネベ伝道など、キリスト教に関する話題もふんだんに盛り込まれ、適度なバランスを保つ。世の中を宗教者の視点で論じるとはこういうことなのだと、改めて考えさせられる。

 最近ハヤりの「社会貢献」を云々するのがねらいではない。本書の主眼は、これらあらゆる事象の根本にある「カイザルのもの(王法=「俗」なる領域)」と「神のもの(仏法=「聖」なる領域)」の未分化という問題を明らかにし、それを弁別する知恵の必要性を説くという点に置かれている。

 たとえば、死刑廃止の立場に立つ一仏教徒として、「何もここに『不殺生戒』という聖なる次元の理想を持ち出してきて、国家の法はそれに従えと、強要する必要はない」と指摘し、「聖」なる世界の論理を短絡的に「俗」なる世界に持ち込むことを戒める。この世の努力を放棄して「神の御心」を語り、一方的に「受忍」と「赦し」を強要するような一部キリスト教会にとっては耳が痛いはずである。

 そのうえで、「世俗社会の価値基準を超えた超越的視座から、一人ひとりの人間の内面に呼びかけて、根源的な反省をうながす点」にこそ宗教の本来的使命があるとし、「教団組織をもつ宗教の胡散臭さには辟易しつつも、何か根源的な気づきを与えてくれるものを欲している現代人の要求」に応え得るものとして、「宗教的なもの」「無名の宗教」の営みの中に、その萌芽を見出す。

 他ならぬ本誌は、「ハタから」で取り上げてきたような「無名の宗教〈者〉」たちの中に、宗教の歩むべき道を模索するのである。


以上、「Ministry」最新号の書評欄で掲載した文章だが、
信仰を持つ者にとっても持たない者にとっても
一読の価値ありとおススメしたい。

特に印象深いのは、死刑を宣告された免田栄さんに対し、
「仮に冤罪でも宿業による結果であって、
素直に従うべき」と説いた仏教の教誨師についての記述。

結局、免田さんは再審無罪判決を勝ち取ることになるが、
世の中のものごとは何にせよ、意味があって起こっている
という、ある種の宗教的理解をあてはめるならば、むしろ
「『こんな理不尽なことが、あってなるものか』と怒り、悩み、
苦闘することを通じて、開けてくる結果にこそ、仏意があった」

として、次のように続ける。

 人は人生を長く生きてゆくうちには、自分の経験を振り返って「すべては必然だった」と受け止められる境地に達する場合もある。が、それはあくまで、失敗から学んだり、理不尽な処遇には抗議したり、現世の人間としてなしうるかぎりの合理的な努力をしたあげく、結果論として感得されてくるものである。人事を尽くすに先立って、安易に天命を語り、あきらめを強要するようなところから生まれてくるものではない。

読んだのは震災前だが、
今になってみると、より一層重みを増して響いてくる。

宗教にできることできないこと
宗教者がすべきことすべきではないこと

そして……

人間にできることできないことが、
今ほど問われている時はない。
ギャラリー
  • #イエスぱねえ 講演実績一覧
  • #イエスぱねえ 講演実績一覧
  • #イエスぱねえ 講演実績一覧
  • #イエスぱねえ 講演実績一覧
  • 道徳教育で「嘘」を教えるな!
  • 道徳教育で「嘘」を教えるな!
  • 「道徳授業地区公開講座」なるものに親として参加してみた
  • 「にわか」が世界を救う
  • 「にわか」が世界を救う
メッセージ

名前
メール
本文
QRコード
QRコード
RSS
  • ライブドアブログ