子育て

なぜ男親の参加率にこだわるのか

 今年度はついに、前任のKさんに代わって書記にも「お父さん」が選ばれ、四役5人中3人がパパという前代未聞?の父母の会としてスタートを切ることになりました。(中略)

 この間、パパの参加率にこだわってきた背景には、子育ての労苦と喜びをママだけに独占させるのはもったいないとの思いがありました。さらにもう一つ、組織の中には異性の視点や発想があったほうがより健全だからという理由もあります。やはり、いくら息の合った夫婦でも、父親と母親では微妙に立ち位置や子どもとの距離間が異なります。より多様な視点で子どもたちを見守り、育んでいけるのも、保育園を含むコミュニティの利点だと考えます。

 都議会では、未だ家父長的な因習にどっぷりつかった中年オヤジたちによる暴言がまかり通り、古臭いオトコ社会が政治の世界でも幅を利かせていますが、いい加減このような差別の温床とは決別しなければなりません。幼児虐待や子どもの貧困が社会問題化する中、孤立する母親だけに責任を負わせ、「俺が養っているんだ」と豪語して飲み歩く身勝手な父親や、長時間低賃金の労働を課し続けている社会全体の構造悪、痛みに寄り添うことなく「子どもがかわいそう」とだけ言い募る世間の風潮を放置してはいけません。

 私たち父母の会は、今後も保護者や園の協力をあおぎながら、(わが子だけでなく!)すべての園児にとってより良い保育を求めていきたいと思います。引き続きご指導、ご助言のほどよろしくお願いいたします。

(父母の会役員を担う保育園の機関紙へ寄せた原稿より抜粋)

チーズケーキは好きですか?

子どものころ、チーズケーキが好きになれなかった。
味もさることながら、見た目が地味
ケーキのくせに、茶色ない

当然、数種類のケーキをおみやげでもらったりすると、
兄弟間では色鮮やかフルーツの盛られたケーキが一番人気

結果、「不人気」で売れ残ったチーズケーキを母がもらう…
というケースが少なくなく、そのたびに「かわいそう」と同情しつつ、
どこか後ろめたさすら覚えていた。

とはいえ、譲ってあげるほどの度量もなく、
単純に大人って損だな」と思っていた。

子どもは、大人も含めて誰もが自分と同じ価値観
生きているはずと素直に信じ込む生き物である。
自分が好きなケーキを、きっと親も好きに違いない、と。

似たような感覚を、小学校の入学前にも抱いた記憶がある。

当時、双子の兄と母の3人で保育所から(おそらく電車ごっこで)帰る際、
誰が先頭を歩くか大問題であった。

おバカな6歳男児にとっては、先頭の運転手こそが名誉
母はもちろん「先頭になりたい」などとは言わず、
最後尾の車掌にいつも甘んじていた。

母想いの私は、殊勝にも「たまには代わってあげようか?」などと
聞いたこともあったが、「気持ちだけ…」と断られ続けた。

親になった今、母は単に安全上の理由から
そうしていたのだと分かるようになった。
同じシチュエーションなら、今の自分もきっとそうするはずだ。

気がつけば、私も見た目の派手なケーキより、シンプルな
チーズケーキの方がおいしいと思える大人になっていた。

先月、私と妻の誕生日のために、
いつも前を通る洋菓子店でケーキを選びながら、
そんなことを考えた。

結局、子ども用にイチゴののったショートケーキ二つと
大人用ふわふわのチーズケーキ二つを買って、家路に就いた。

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再掲パパ論(4) 余暇が新しいモノを生む

総括の最後は、「なぜ休むのか」。

2005年度の男性育休取得率は、なんと0.5%
なぜ先進国の日本で、未だにかくも低いのか。
育休を取得しなかった国家公務員の男性に
その理由を聞いたところ、
他人の迷惑になる」が52.6%で最多。
収入が減る」(47%)、
代替要員がいない」(17.5%)などが続いた
(人事院調査08年2月)。

確かに小学校の教員時代はクラス担任だったこともあり、
休めば必ず誰かが代理で入らざるを得ないため、
病欠でさえ気後れしてしまい、
育休など夢のまた夢であった。

今回、育休を取れたのも
ある程度融通の利く職種だったこと、
かつて社長自身が育休を取った「実績」があったこと
など、多くの恵まれた要因があったからである。

「育休は権利だ」と主張するのも大事かもしれないが、
必ずしもそれだけが正しいとは言いにくいのが現状。
むしろ単純に、休ませた方が企業のためになる
そういう発想の方が大事のような気がする。

「上司より先には帰れないから」などという理由で、
仕事もないのにただ漫然と残業するより、
社全体が残業ゼロを目指して仕事の能率化を図り、
退社後はプライベートを十分楽しむように奨励した方が
残業代も減り(サービス残業は論外!)、
結果的に利潤も上がると思うのだが…。

スクール(school=学校)の語源が、「暇」を意味する
ギリシャ語「スコレー」だというのはよく知られた話。
最近読んだ『文章の書き方』(岩波新書)にも、
感覚を磨くためには、まず「ゆとり」が第一とあった。
余暇こそが、新しい発想と創造力の源泉である。

そして、人の親として一回り大きく成長できた者は、
社会人としても一回り大きな適応力と責任感を
習得できるはずだ。

政府の目標は、2014年度までに
男性の育休取得率を10%に引き上げることだという。
その実現のためには、社会全体が本腰を入れて
真剣に対策を考える必要があるだろう。(おわり)

(2008.6.18 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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再掲パパ論(3) オトコを見る目

「父親を楽しもう!」と提唱するパパたちの
NPOファザーリング・ジャパンで代表理事を務める
安藤哲也さんが、面白いことを書いていた。

テーマは「子育てするオトコの見分け方」。例えば、
「まずは彼を育てたお父さんの、父親OSを見よ
「デート中、街ゆくファミリーを見る彼の目線に注意せよ」
旅行中の振る舞いに気をつけよ
(旅館で『歯磨きどこ?』とか訊かないか)」
など。

なるほど!といちいち納得。
安藤さんいわく、「女性誌の結婚特集に『男の子育て』が
必要十分条件になりそう」だとか。
「結婚で重視することは?」という女性への質問に、
多かった答えの1位が「家事への協力」、
2位が「仕事への理解」だったという統計もある。
こうした要望に応えられない、または応えたくない男性が、
結婚生活に魅力を見出せないのが晩婚化の遠因では?
と指摘する声もある。

結婚する・しないは個人の選択であり、まして
それを許さない経済状況、社会状況があることは
十分にただしていく必要がある。
同時に、今どき料理ぐらいできなくては、恋愛すら
できない
ということを世の男性は肝に銘じるべきである。

そして、女性にはそれをしっかり見ぬく目を持ってほしい。
「付き合うまでは優しかったのに」
「結婚してから態度が豹変した」
「こんな人だとは思わなかった」…
そういう悲痛な女性の嘆きを聞くにつけ、
事前にそれを見ぬくすべはなかったのか
悔やまれてならない。

お互いの結婚観、家庭観などは、最低限、
付き合う中で確かめ合っておくべきことではないか。
表面を取り繕うヤサシイ男はいくらでもいる。
恋愛中ならなおのこと、必要以上に尽くそうとする。
口では「協力するよ」ぐらい言えるかもしれない。
しかし、いざ結婚してから、子どもが生まれてからでは
遅いのだ。

のらりくらりと言い訳をして、家のことに
協力しようとしない男性の態度を容認すれば、
そのままつけ上がるのは目に見えている。
女性が自分や子どもを守ろうとするなら、
男性よりも「賢く」なるしかない

失敗しない「オトコの見分け方」として(反省もふまえ)
冒頭の例に付け加えるならば、
「『男たる者』とか『女のくせに』とか言わないか」
「『俺と○○とどっちが大事なんだ!』と言わないか」
「ディズニー・ランドでの待ち時間が2人でもつか」
「対等にケンカ(暴力は厳禁!)できるか」
「親に反論できているか(マザコンじゃないか)」
「同性の友達が多いか」
「異性の友達もいるか」
 …あたりだろうか。(つづく)

(2008.6.11 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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再掲パパ論(2) まずは価値観の変革を

少子化対策や「子育て支援」のために
若い世代の労働条件(長時間労働・不安定雇用)の
改善が不可欠であることはこれまでにも度々触れてきた。

そこで、それらの環境整備を「ハード面」とするなら
もう一方の「ソフト面」(ソフト麺ではない…)
についての意見。

小中学校の家庭科では、衣食住にわたり
実にさまざまなことを習う。
1989年の学習指導要領改訂で、高校家庭科も
男女共に学ぶ必修教科として位置づけられ、
1994年には全面実施に至った。
にもかかわらず、卒業後、いざ家庭に入ってみると…。

このギャップには何があるのか。

昨年9月、内閣府主催のシンポジウムで講演した
ワーク/ライフ・コンサルタントの
パク・ジョアン・スックチャさんによれば、
出生率が先進国で一番高いアメリカは、
制度が手薄でも、会社が家族にやさしく、
父母も子どもたちと過ごす時間を増やすことに一生懸命。

「このような社会と個人の価値観、姿勢
子どもを生みたい、育てたいと思わせる環境になっている

と指摘し、「海外では、夫婦で生んだ子どもを
母親一人で育てるなんて最初から思っていない
父親、母親、子ども、そして社会にとっても、
誰にとってもよくないから」ときっぱり。

仕事一辺倒の父に育てられた多くの男性にとって、
育児に参加する父親のロールモデルは存在しない。
他に父親像、家庭像と触れる機会がなければ、
「父親が家事をしないのは当たり前」となって当然である。

逆もまた然り。同様の家庭で育った女性が、
「家事はわたしがやるもの。夫にはさせられない」
と思い込むことは想像に難くない。

現状では、残念ながら家庭以外の場で、
家族とは?育児とは?といった根本理念について
習う機会はほとんどない。

親の姿を見て倣う以外には、自ら培った知識、経験、
出会った友人などから学ぶしかない。
果たして、それでいいのだろうか。

加えて言えば、今日の教育システムでは、
多くの人々が男女の違い、社会と個人、
権利と義務、恋愛観、結婚観、職業観、
ひいては人生観などについて、
あまり考える機会がないまま大人になってしまって
いるのではないだろうか。

一つの答えが出ないまでも、
実際に家庭をもち、子どもを育てる状況になる以前に、
最低限考えておかなければならないことだと思う。

子育てや夫婦の関係についての講演会などで
「もう少し早く聞いておけばよかった」という反応を
多く耳にする。これらの感想が
「聞きたくても聞けなかった」「聞く場所がなかった」
「教えてくれる人がいなかった」という切実なSOSに
聞こえるのは、気のせいばかりではないだろう。

こういう話になると、すぐ「倫理・道徳」でモラル教育を
などという論議が持ち出されるが、それは本意ではない。

具体的にどんな可能性があるのか、
ここで提案することはできないが、
父親に「家事に少しでも協力を」と呼びかける前に、
夫婦または夫婦になろうとしている男女が、
結婚して家庭をつくること
父として、母として、一社会人として生きること
について、深め合う場が求められているように思う。(つづく)

(2008.6.6 「松ちゃんの教室」本サイトより再掲)


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