天草でキリシタン慰霊

 キリスト教が禁じられた江戸時代初期に殉教した「アダム荒川」をはじめ、天草の当時の信者に対するキリシタン慰霊祭が27日、天草市船之尾町のキリシタン墓地であった。天草の本渡、大江、崎津の3カトリック教会主催。

 アダム荒川の慰霊祭は4回目。毎年、単独で場所を変えて開いていた。今年は本渡地区で開くことになり、2009年まで同地区で行っていた天草・島原の乱の犠牲者を追悼する「天草殉教祭」の精神を引き継ごうと、禁教時代の天草の信者を対象にした。

 キリスト像やアダム荒川の殉教碑前の会場には、県内外の信者ら約200人が集まった。本渡教会主任司祭の渡辺隆義神父(64)は「禁教時代の有名無名のすべてのキリシタンたちへの理解を深めたい」とあいさつ。長崎純心大人文学部の片岡瑠美子教授(70)がアダム荒川について講演した。

 アダム荒川は島原半島生まれで、天草の教会で神父を補佐し、神父追放後も信者を励まし続けたという。棄教を拒んだため1614年6月5日に現苓北町で処刑された。

 片岡教授は「アダム荒川は神とつながることにのみ希望を持ち、喜んで殉教した」と説明。続いて慰霊のミサがあり、信者たちは賛歌を歌ったり、祈りをささげたりした。

 天草殉教祭は1956年、観光資源の一つとして始まったカトリックや仏教など宗派を超えた慰霊行事。幕府軍と一揆軍の激戦地、町山口川に架かる国重要文化財「祇園橋」での祈りやキャンドル行列などで知られたが、観光客の伸び悩みなどから2009年を最後に中止となった。

(2012年5月28日 西日本新聞)