元朝日新聞「天声人語」執筆者でコラムニストの栗田亘氏の
文章を読んだ。非常に示唆に富んでいて面白い。

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 「新聞離れ」が指摘されて久しい。私の子どもたちにも30代40代のイイ年をして、新聞を取っていないのがいる。
 講義を受け持っている大学院の教室で聞いても、若い院生で新聞をほとんど読まない者が珍しくない。それでいて志望する職業にジャーナリストを挙げたりするのだから、何を考えているのかわからなくなる。

 では、必要なニュースはどこで得るのか。
 テレビで、という答えもあまりない。
 やはりネット派が多い。多いけれど、ニュースを求めてというより、パソコンを開いたとき気が向けばニュースサイトを覗く、といったやり方が大部分のようだ。

 一時期、新聞は競って活字を大きくした。主たる顧客の中高年齢層をつなぎとめるためだ。老眼が進んだ私も大変重宝した。
 読みやすく、かつ情報量は確保する。各紙はそう謳い、工夫を凝らした。たとえば、漢数字を算用数字に変えて、文字数を節約した。
 読者は長い記事を好まない。多忙な現代生活にあって、そんな時間の余裕はない。簡にして要。それが鉄則だ。部長もデスクもそう言った。

 その通りだと思いつつ、私はいささか懐疑的でもあった。際限なく活字を大きくすれば、どうなるか。どんなに知恵を絞ったところで、情報量は相対的に減らざるを得ない。

 私が朝刊一面コラム(『天声人語』)の担当を外れたのは8年前だ。離れた翌月から活字がさらに大型化され、コラムの文字量もそれまでの平均750字から100字強減った。

 750字と650字。コラムは一般ニュースとは違うので、どちらが適当かについては意見が分かれるだろう。しかし、短い紙幅の中での100字の差は、コラムの性格にも影響を及ぼすのではあるまいか。

(中略)

 大変な昔語りになってしまうが、文字が大きくなる前の新聞は1行15字。1面や社会面の連載は120行。夕刊なら80行が一般的だった。
 120行だと1800字、80行なら1200字ということになる。
 120行連載は、取材が大変だった。浅い、生半可な取材では、120行をとても埋められなかった。
 80行連載になると、今度は紙幅にうまく収めるのに苦労した。
 経験からして、相場記者の取材は十分に行き届いたものだったに違いない。

(中略)

 活字離れは一面、事実である。それを引き止める一法として活字の大型化がある。記事の簡素化がある。
 それでは、長い記事は不必要か。長い記事でなければ書ききれないことが、一般ニュースも含めて、結構あるのではないか。

 『1Q84』が100万部を超えて売れている。『ハリー・ポッター』の大長編シリーズも売れている。
 粗雑にして楽観的な見通しかもしれないが、私が考えるに、面白ければ、興味を引けば、人びとは紙に印刷した文字を読んでくれるのだ。

 現役の記者諸氏の健闘に感服しつつ、あるいは新聞経営の大変さを理解しつつ、以上は記者OBの繰り言である。

(2009年7月1日 あらたにす)