毎日新聞(2008年10月21~23日)に連載された「’08ココロ新風景」は、生死をめぐる宗教の役割と、
現実の問題に取り組む宗教者の姿を丹念に取材していて秀逸だった。抜粋して一部紹介する。(松)

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 「葬式仏教」などと揶揄(やゆ)されているうちはまだよかった。今や葬儀でさえ無宗教葬が年々増えていく時代だ。日本の宗教の存在感は薄れる一方なのか。そんな疑問を出発点に、現実の社会や生きた人間に深くかかわろうと模索する宗教の「新風景」を訪ねた。

―上― 自殺と向き合う宗教者

 ◇全国で学習会--本人、家族と手紙交換
 ◇「教義に反する」…信仰ゆえ苦しむ遺族も

 西日本で自死遺族の会を作る別のクリスチャンの女性は「自死は本人一人の力ではどうしようもない病死である」との立場で、「教義にとらわれ、自死を宗教的・道徳的な罪だとする見方が、信者だけでなく神父・牧師や僧侶にも根強く残っている」と批判する。子どもを自死で亡くしたある信者から「周りに『なぜ信仰を持っているのに止められなかったのか』と責められている思いがして、教会にはもう通えない」と、訴えられたこともある。
 信仰があるがゆえ、一層つらい思いをする遺族。女性は「宗教の恐ろしさだ」と表現した。


―中― 学んで癒やす「悲嘆」

 ◇ケアの専門職、養成始まる
 ◇個々の教義、評価超えた 宗教教育の試みも

 聖トマス大学は来年4月、悲嘆(グリーフ)を体系的に研究し、ケアの専門職を養成する国内初の「日本グリーフケア研究所」を開設する。
 悲嘆は、パニック▽怒り▽罪責感▽幻想▽抑うつ▽無関心--など複雑なプロセスを経る。カウンセリングには専門知識と経験が必要だ。同研究所は主に社会人を対象に3カ年のカリキュラムを組み、病院などに人材を送り出す計画。専門職の証しとして「日本スピリチュアルケア学会」(理事長、日野原重明・聖路加国際病院理事長)が「グリーフケア・ワーカー」の資格を認定する。
 所長に就任するシスターの高木慶子客員教授(人間学)は「悲しみ苦しみを身をもって知る人は他人にも優しくなれる。グリーフケアによって癒やされた人が癒やす側に育ってくれるならばすばらしい」と期待する。


―下― 死刑、信仰心でかかわる

 ◇教誨、遺族ケア、廃止運動…
 ◇加害側と被害側、歩み寄りの道遠く

 被害者ケアに取り組むあるシスターは今夏、事故で家族を亡くした女性から「(加害者側の)あの人を刺す」と告白された。聖職者として他言はできず、数年間のケアの力が報復をぎりぎりで踏みとどまらせてくれると信じて祈るしかなかった。女性は今、落ち着きを取り戻しているが、シスターはその心中を思い「死刑制度は絶対反対だが、国も責任を持つ経済的、精神的ケアの体制が確立されない限り、安易には反対を口にできない」と話す。