男性の育児「参加」を求める声が高まる一方、
育児ギョーカイではまだまだ男性が受け入れられていないなぁ…
と感じることが多い。
プレママクラス、両親学級、保護者アンケート、育児雑誌など
での肩身の狭さ、違和感、疎外感である。
父親自身に関心がない、あるいは時間的余裕がない
という場合も多いだろうが、そもそも父親の「参加」を促す
情報、案内、体制がどれだけ発信、整備されているだろうかと
逆に問う必要もあるのでは…?
今でこそ、男子トイレにもおむつ替えのコーナーが
設置されるようになったが、授乳スペースと同様、
男性も入れる(入りやすい)赤ちゃんスペースは
子連れのパパにとって切実な問題である。
もちろん、女性特有の課題もある。
産休、育休、生理休暇、母乳育児、子育て支援などなど…。
ないがしろにされてきた権利として女性や母親が
獲得してきた運動の歴史、成果もある。
しかし、振り返ってみれば、女性の課題とは
概して男性(社会)の問題である。
女性だけが団結してあーだこーだと議論し、
世に訴えても、あまり合理的ではない気がする。
なぜなら問題の根幹は、男性側にある場合が多いのだから。
話が飛躍するようだが、さらに加えて言うと…
かつて「女こども」とくくられた「子女」への教育が
ほとんど顧みられなかった時代に、
女子教育が必要だったことは十分認めつつ、
今の時代に女子と男子で区別して
授業を受けさせることに一体どれだけの
教育的意義があるのか、甚だ疑問である。
とりわけ性教育などの分野で、
女子だけ、男子だけがそれぞれ別々に
別の内容を教え、議論することがどれだけ不毛で非合理的か。
もちろん、極めてデリケートな問題も含むので
最大限の教育的配慮に神経を遣う必要がある
ことは言うまでもないが…。
性同一性障害という課題ももちろんあるが、
それ以前に今一度、そのメリット・デメリットを
考え直す必要があるのではないだろうか。
先に述べた男性(社会)の問題と
どこかでつながっているような気がしてならない。
そしてこれは、国内に存在する多くのミッションスクールが、
今後直面していく課題でもある。
学校で浸透してきた男女混合名簿ですら
異論があるようなので、正反対からの主張もあるのだろうが、
男子校で勤めていた立場から、あえておぴにおんさせていただく。
育児ギョーカイではまだまだ男性が受け入れられていないなぁ…
と感じることが多い。
プレママクラス、両親学級、保護者アンケート、育児雑誌など
での肩身の狭さ、違和感、疎外感である。
父親自身に関心がない、あるいは時間的余裕がない
という場合も多いだろうが、そもそも父親の「参加」を促す
情報、案内、体制がどれだけ発信、整備されているだろうかと
逆に問う必要もあるのでは…?
今でこそ、男子トイレにもおむつ替えのコーナーが
設置されるようになったが、授乳スペースと同様、
男性も入れる(入りやすい)赤ちゃんスペースは
子連れのパパにとって切実な問題である。
もちろん、女性特有の課題もある。
産休、育休、生理休暇、母乳育児、子育て支援などなど…。
ないがしろにされてきた権利として女性や母親が
獲得してきた運動の歴史、成果もある。
しかし、振り返ってみれば、女性の課題とは
概して男性(社会)の問題である。
女性だけが団結してあーだこーだと議論し、
世に訴えても、あまり合理的ではない気がする。
なぜなら問題の根幹は、男性側にある場合が多いのだから。
話が飛躍するようだが、さらに加えて言うと…
かつて「女こども」とくくられた「子女」への教育が
ほとんど顧みられなかった時代に、
女子教育が必要だったことは十分認めつつ、
今の時代に女子と男子で区別して
授業を受けさせることに一体どれだけの
教育的意義があるのか、甚だ疑問である。
とりわけ性教育などの分野で、
女子だけ、男子だけがそれぞれ別々に
別の内容を教え、議論することがどれだけ不毛で非合理的か。
もちろん、極めてデリケートな問題も含むので
最大限の教育的配慮に神経を遣う必要がある
ことは言うまでもないが…。
性同一性障害という課題ももちろんあるが、
それ以前に今一度、そのメリット・デメリットを
考え直す必要があるのではないだろうか。
先に述べた男性(社会)の問題と
どこかでつながっているような気がしてならない。
そしてこれは、国内に存在する多くのミッションスクールが、
今後直面していく課題でもある。
学校で浸透してきた男女混合名簿ですら
異論があるようなので、正反対からの主張もあるのだろうが、
男子校で勤めていた立場から、あえておぴにおんさせていただく。