2010/02

女性のカダイは男性のモンダイ

男性の育児「参加」を求める声が高まる一方、
育児ギョーカイではまだまだ男性が受け入れられていないなぁ…
と感じることが多い。
プレママクラス、両親学級、保護者アンケート、育児雑誌など
での肩身の狭さ、違和感、疎外感である。

父親自身に関心がない、あるいは時間的余裕がない
という場合も多いだろうが、そもそも父親の「参加」を促す
情報、案内、体制がどれだけ発信、整備されているだろうかと
逆に問う必要もあるのでは…?

今でこそ、男子トイレにもおむつ替えのコーナーが
設置されるようになったが、授乳スペースと同様、
男性も入れる(入りやすい)赤ちゃんスペースは
子連れのパパにとって切実な問題である。

もちろん、女性特有の課題もある。
産休、育休、生理休暇、母乳育児、子育て支援などなど…。
ないがしろにされてきた権利として女性や母親が
獲得してきた運動の歴史、成果もある。

しかし、振り返ってみれば、女性の課題とは
概して男性(社会)の問題である。

女性だけが団結してあーだこーだと議論し、
世に訴えても、あまり合理的ではない気がする。
なぜなら問題の根幹は、男性側にある場合が多いのだから。

話が飛躍するようだが、さらに加えて言うと…

かつて「女こども」とくくられた「子女」への教育が
ほとんど顧みられなかった時代に、
女子教育が必要だったことは十分認めつつ、
今の時代に女子と男子で区別して
授業を受けさせることに一体どれだけの
教育的意義があるのか、甚だ疑問である。

とりわけ性教育などの分野で、
女子だけ、男子だけがそれぞれ別々に
別の内容を教え、議論することがどれだけ不毛非合理的か。
もちろん、極めてデリケートな問題も含むので
最大限の教育的配慮に神経を遣う必要がある
ことは言うまでもないが…。

性同一性障害という課題ももちろんあるが、
それ以前に今一度、そのメリット・デメリット
考え直す必要があるのではないだろうか。
先に述べた男性(社会)の問題と
どこかでつながっているような気がしてならない。

そしてこれは、国内に存在する多くのミッションスクールが、
今後直面していく課題でもある。

学校で浸透してきた男女混合名簿ですら
異論があるようなので、正反対からの主張もあるのだろうが、
男子校で勤めていた立場から、あえておぴにおんさせていただく。

にしむらなおとさん再び!

昨年、わが子の通う保育園でお招きした
パパ's絵本プロジェクト」メンバーの
西村パパこと、にしむらなおとさんが今年も来てくれました


去年、「がらがらどん」に夢中だった長男ザウルスは、
あのCD(にしむらさんご本人からもらった非売品
で歌っている張本人が来るということで、
かなり緊張していたようですが、
今年は同じクラスの子たちと最前列に陣取り、
ノリノリでした

ロックバンドのライブじゃないからね…。ほどほどに

にしむらさんは「ノリがいい!」と喜んでくださったようですが…。

今回も、前回同様、さまざまな小道具
駆使しながら、子どもたちにも参加させながら
あっという間の楽しい時間が過ぎてしまいました。

もちろん、大人気の「がらがらどん」と「新聞ビリビリ」も…。
未体験の方は是非、どこかで
機会があれば参加してください
「ミュージシャンの仕事ってこんなに楽しいのね~」
と実感できる音楽療法超オススメです

なかで紹介してくださった『うんちっち』
(ステファニー・ブレイク作・絵/訳ふしみみさを/PHP研究所)
をはじめ、世のママたちは絶対買わないだろうな~
とゆーお行儀の悪い傑作絵本たちが、
↓の本でたくさん紹介されてます。


安藤哲也著『この本よんで!PaPa’s絵本33』
(小学館・2008/12)


絵本ってこんなにあるんだ~と改めて感心。
にしむらさんたちの座談会もあります!

また、来年も来てくださいネ。
何なら毎年の恒例行事に…。

「闇の中」で光輝かせる40年

日本バプテスト連盟 「靖国・天皇制・信教の自由」で記念誌


 靖国神社の国家管理化を目指す「靖国神社法案」が、国会に提出されてから40年。1968年に設置された日本バプテスト連盟靖国神社問題特別委員会(浦瀬佑司委員長)は、これまでの歩みをふり返り「何ができ、何ができなかったかをもう一度整理しつつ、これから何をすべきかを考える」ために、このほど『光は闇の中に輝いている』(新教出版社)を発行した。2月22日、恵泉バプテスト教会(東京都目黒区)で行われた出版記念会には、関係者ら約70人が集まり、「靖国・天皇制・信教の自由」をめぐる今後の課題について確認し合った。

 記念会では初めに奥田知志氏(東八幡キリスト教会牧師)の司会のもと礼拝が行われ、藤田英彦氏(同教会協働牧師)が説教。浦瀬委員長のあいさつに続いて、日本キリスト教協議会(NCC)総幹事の飯島信氏、日本バプテスト連盟理事長の田口昭典氏(金沢キリスト教会牧師)が「励ましの言葉」を述べた。

 田口氏は40年をふり返っての実感として、「『反ヤスクニ』の運動を通して豊かな教会が築かれ、活動に関わった人々がよい働き手として整えられてきた」と述べた。

 記念講演として、本書の批判的評価を求められた田中伸尚氏(ノンフィクションライター)は、「初めて知ることも多く、門外漢として興味深く読んだ」とした上で、「バプテスト連盟の中で、戦後20年以上も(天皇の時を表す)元号が使用されていたという事実にショックを受けた。資料にも注を付けるべき」と指摘。

 活動を担ってきた委員らによる座談会(第一世代、第二世代に分けて開催)の中で、「信仰・伝道と政治・社会問題」との関係性が共通の課題として挙げられていたことに触れ、「キリスト教に限らず、仏教も抱えている古くて新しい問題」と述べた。

 さらに、大逆事件で被告とされた真宗大谷派の僧侶・高木顕明(1864~1914年)の生涯から、「被差別部落の問題に触れる中で、非戦、反差別の生き方を貫いた。高木にとって、それは親鸞の教えそのものだった」とし、日露戦争開戦直後に著した著作『余が社会主義』から、戦争に反対することが伝道であると説いた一節を引用した。

 真宗大谷派は高木の死後85年を経た96年に、ようやくはく奪された僧籍を復帰させたが、「靖国問題と向かい合うことなしに、彼を復権、顕彰することはできない」と田中氏。

 この40年をふり返り、「『新たなる戦前』という状況が続いてきたが、それに対する闘いは全体的に後退してきた。とりわけ1995年以降、仏教各派を含め、キリスト教会の中でも右傾化が顕著になってきたのではないか」と指摘。「信仰や伝道を追求していくことが、靖国問題と対峙することになる」と呼び掛けた。

 続いて講演した関田寛雄氏(日基教団神奈川教区巡回牧師)は、牧師を父に持ちながら「軍国少年」として育ち、敗戦後、ホーリネス教団の牧師との出会いから「時代が変わっても変わらない真理」を聖書に見出すようになった体験について証言。「これからの闘いでも敗北は続くだろうが、希望を捨てずに続けることが大事。歴史の主である神との関係に立つことが、抵抗の原点になる」とメッセージを寄せた。

 最後に、2008年に行われた「発足40周年記念公開講演会」でも講師として招かれた高橋哲哉氏(東京大学大学院教授)がコメント。日本初の良心的兵役拒否者として知られる牧師の矢部喜好(1884~1935)も、高木と同じ時代に非戦を訴えた宗教者であったことを紹介した。本書には、高橋氏による講演も掲載されている。

(2010年3月6日 キリスト新聞)

��教会訓練でキリストの愛を��

牧会塾 公開講演 丸山忠孝氏がM・ブツァーの「牧会論」語る


 牧師とその配偶者の継続教育やケアなどを目的に発足した牧会塾(森直樹ディレクター)は2月19日、JECA宣教教会(東京都世田谷区)で、丸山忠孝氏(元東京基督教大学学長)を招いての公開講演会を開催した。丸山氏は学長を退任後、ボストン、シアトルでストラスブルクの宗教改革者マルティン・ブツァー(1491~1551)について研究、執筆を続けてきた。講演で同氏は宗教改革者の中で「最も寛容」とされているブツァーの人物像や宗教改革における位置づけについて解説した。

 初めに、ルターとツウィングリが聖餐におけるキリストの臨在をめぐって対立した時、両者の仲裁に入ったことなどを紹介し、プロテスタントの教会形成において「他者のために」という愛の精神が極めて重要との主張を生涯貫いた「最初のヨーロッパ大の教会人であり、かつ神学者であった」と評した。

 また、宗教改革期のキリスト教社会を「教会と世俗権(国家)を二つの焦点とした楕円」で表し、「為政権が教会役員を任命していた時代に、為政者の統治と、教会における長老の牧会は本質的に区別されなければならないとし、教会の霊的、内面的な領域の自立を強調した」と述べた。

 その上で「改革派の伝統における最初の実践神学書」と言われる『牧会論』から、み言葉と聖礼典に加え第三の印として「教会訓練」の必要性を説いたブツァーが、「すべてのキリスト者が教会訓練に参加し、とりわけ任命された者が専念すべき」「教会訓練は、罪を犯した者に自分の罪を気付かせ、再び彼を慰め、恵みの希望に向けて勇気づけること」と書いた文章を引用。

 「ブツァーは厳しい時代の中で、キリストの愛を教会訓練においても反映させなければならないと説いた。教会訓練を受ける人が愛を感じられなければ、結果的には失敗に終わるのではないか。キリストが教会を愛したという視点を失ってはならない」と結んだ。

 牧会塾では、4月からの受講生を募集している。講義内容や行事予定については牧会塾のサイト(http://www.pastors.jp/)まで。

(2010年3月6日 キリスト新聞)

華やかな舞台の陰で

*以前のブログ記事を「望楼」用に書き換えました。


 五輪が熱い。自ずとテレビを通して「日の丸」を目にする機会も増える。汗と涙に輝く選手たちの笑顔と、その旗から想起される歴史との対比に戸惑いを覚える。選手たちは、「お国のため」に試合に臨んでいるわけではない。民放各局が日本人選手の活躍ばかり報じ、他国選手の称賛されるべき演技や試合に時間を割かない傾向も気になる。視聴率がものを言う世界ではやむを得ないが、「スポーツマンシップ」とは、そんな狭隘な精神だろうか。「平和の祭典」は国威発揚の場ではない。

 一選手の服装にまつわる騒動も引っかかる。「謝罪」会見での不遜な態度は論外にしても、「服装の乱れは心の乱れ」と断じ、「『日の丸』を背負う日本の代表として恥ずかしい」といった批判には同意しかねる。先般引退した横綱に浴びせられた、「国技の伝統を軽視する品格のない外国人」との非難にも通じる危うさがある。

 今年の「建国記念の日」には、危機感を強めた保守勢力が、「外国人参政権」と「選択的夫婦別姓」への反対を声高に叫んだ。「ネット右翼」をはじめとする排外主義も台頭し始めている。華やかな舞台の陰で、脈々と流れる独善的国家主義の潮流も見逃してはならない。

(2010年3月6日 キリスト新聞「望楼」)
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