2009/11

「赤ちゃんポスト」で最終報告書 「匿名継続は認められない」

赤ちゃんポスト:利用51件 匿名継続認めず――熊本県検証会議

 親が育てられない子供を匿名で受け入れるために熊本市の慈恵病院が設けた「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の長期的課題を検討してきた熊本県の検証会議(座長=柏女(かしわめ)霊峰(れいほう)・淑徳大教授)は26日、最終報告書を蒲島郁夫知事に提出した。預けられる子どもの権利を考慮した場合、匿名を続けることは認められないと指摘。周囲に知られないまま相談や出産を受け入れつつ、実名での支援につなげる「シェルター」を各都道府県に置くことなどを提言した。

 報告書は「シェルター」を各都道府県の産婦人科病院に1カ所程度設置することが必要と指摘。職員の相談能力などの向上や情報を共有するため、シェルターを連携させる組織の設置も国に求めた。

 報告書によると、ポストが設置された07年5月から今年9月末までの利用は51件(人)で、このうち身元が判明したのは39件。母親の居住地は熊本県を除く九州が13件と最多だったが、関東11件、中部6件と全国に広がっている。母親の年代は20代が約4割を占め、児童相談所が援助中のケースもあった。

 預けに来たのは母親が最も多かったが、1人での来院は13件にとどまった。「戸籍を汚したくない」と祖父母が訪れた例もあり、利用理由では「戸籍に入れたくない」(8件)が最も多く、生活苦(7件)と不倫(5件)が続いた。

 51件のうち、再び家庭に戻ったのは7件。30件は施設などで育てられ、1件は特別養子縁組が成立した。

(2009年11月27日 毎日新聞)


アイルランドのカトリック教会が児童虐待に関する調査報告書を発表

第984信 2009年11月30日(月)

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   (c)世界キリスト教情報   連絡先E-mail:cjc-skj@mail.goo.ne.jp
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  2009年11月30日(月)     第984信(週刊・総合版)☆☆
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             = 目 次 =
   ▼アイルランド教会での児童虐待、政府が謝罪
   ▼ブレイディ枢機卿、虐待について教会の隠蔽を謝罪
   ▼ダブリンの教会でミサの際に抗議の声
   ▼スイスでモスク尖塔の建設禁止へ、反イスラム教感情表面化
   ▼ニューヨークの教会が先住民に400年前の処遇謝る
   ▼上海で指導者召喚された『家の教会』信徒500人が野外礼拝
   ▼OMの伝道船『ドゥロス』号が09年一杯で運行停止
   ▼教会売却してもナイトクラブ転用は問題、とバチカン警告
   ▼日本巡礼団が福者ペトロ岐部と187殉教者の聖遺物を教皇に献呈

全文はこちら→ http://cjcskj.exblog.jp/9334026/


宣教師妻「能登便り」

よみがえる能登の思い出 宣教師の妻、45年ぶり旧友と再会

 米国・カリフォルニア州在住の日出子・ワイナンズさんが27日、宣教師の夫と暮らした能登町を訪れた。45年ぶりに親交のあった人たちと再会し、当時住んでいた家を訪ねた日出子さんは「懐かしい友人と会い、風景を見ると当時の思い出がよみがえる」と感慨に浸った。

 両親の仕事の関係でアメリカで生まれた日出子さんは、1955(昭和30)年から9年間、宣教師の夫デイヴィッド・ベックマンさんと旧能都町に住んだ。今回の訪問は、ベックマンさんが撮影した能登の写真と日出子さんが米国に住む両親にあてた手紙をまとめた書籍「能登便り」(北國新聞社発刊)を、同町や当時の知人らに寄贈するのが目的。

 日出子さんは、次女の福井直美さん=群馬県前橋市=とともに同町役場を訪れ、持木一茂町長と面会した。その後、家族ぐるみで親交があった同町崎山の山本弘志さん(70)方を訪問した。

 山本さんの妻の妹は直美さんと小学校の同級生で、当時直美さんが山本さんの妻の自宅に遊びに行った話などで盛り上がった。山本さんは日出子さんから贈られた能登便りを手に取り、「写真と合わせて手紙を見ると、この一冊に多くの物語が詰まっている」と話した。

 日出子さんらは同町宇出津に残る当時の自宅を外から眺めた。日出子さんは「温かく迎えてくれた奥能登の皆さんに感謝している。本を読んで昔の能都町を思い出してほしい」と話した。

 「能登便り」には大漁に活気づく宇出津港や、おかっぱ頭の少女など、昭和30年代の懐かしい写真が満載されている。ワイナンズさんが米国の両親に一男二女の成長や暮らしぶりを伝えた手紙も添えられた。

 行商の女性たちがバスの乗り換えを手伝ってくれた話や、銭湯で背中を流し合う様子など、能登の人情がにじみ出ている。

 「能登便り」はA4判、英文の章を含めて182ページ。2千円(税込み)で近く北國新聞社から発売される。

(2009年11月28日 富山新聞)


バッハの教会カンタータ 全曲演奏目指し 100曲目演奏

25年かけ演奏100曲目 バッハの教会カンタータ

 現存するバッハの教会カンタータ(声楽曲)200曲の全曲演奏を目標にする「カンタータクラブ」が、金城学院大(名古屋市守山区)で開いたコンサートで100曲目を演奏し、折り返した。結成から25年。生のバロック音楽を市民に届けようと、地道な活動を続けている。

 教会カンタータは礼拝用で、歌詞の内容は聖書に関連している。ドイツの作曲家バッハは教会の暦に沿って1週間に1曲ずつ、約300曲作ったとされる。

 100曲目となったのは、11月15日用の第139番「幸いなるかな、おのが御神に」。今月14日に開いた72回目のコンサートで、声楽と器楽の約40人が荘厳な音色、伸びやかな歌声を響かせた。聴衆はプログラムの日本語訳を見ながら聴き入り、惜しみない拍手を送った。

 主宰でアルトの川瀬麻規子さん(66)=金城学院大准教授=は「幸せ。身内が言うのもなんだけど、恥ずかしくない演奏ができた」と笑顔を見せた。

 川瀬さんが1970年、県立芸術大(長久手町)に在職中のドイツのバリトン歌手ゲルハルト・ヒッシュ教授(故人)の門をたたき、カンタータを歌い始めたことがきっかけ。84年、同窓生とクラブを結成、活動を本格化させた。

 メンバーは演奏家もいるが、会社員など二足のわらじの人も。週1回、中区の川瀬さん宅に市内外から集まり、練習を重ねている。

 カンタータを発表できるレベルに仕上がるのは1年間に5曲程度だ。「カンタータはさまざまな感情表現があり、まるで絵画のよう」と川瀬さん。200曲達成までは遠い道のりだが、「精神性の高い曲の一つ一つを再創造することに意義があり、みなさんと共有したい」と継続に向けて思いを新たにしていた。

(2009年11月30日 中日新聞)


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