「牧師の子はグレる」――そんなウソのようなホントの話を時折耳にする。現に、薬や金銭トラブル、女性問題などで叩かれる2世タレントの報道に接すると、特異な視線を浴びることの多い家庭に共通した課題が浮かび上がってくる。
更生して活躍中の絵本作家も、教会で生まれ育ったことで耐えがたい苦しみと悲しみを背負いながら、牧師である親には気づいてもらえなかったという体験をたびたび振り返る。どんなに敬虔で熱心な信仰者だとしても、自らの非が認められず、いまだその瑕疵を言い繕って、記憶を改ざんしているのだとしたら、そんな親のもとで育つ子どもたちは不憫すぎる。「牧師としてはいい人なのに……」は何の免罪にもならない。むしろ、その実態を誰にも理解してもらえない、信じてもらえないと感じる子どもの絶望がますます深まるだけだ。
親子だからすれ違いは当然ある。牧師の子でなくてもグレることぐらいある。しかし、我々大人たちは教会での奉仕や牧会などに逃げず、まずは己の罪や弱さとしっかり向き合うべきだ。愛すべき「隣人」は目の前にいる。ここがロドスだ、ここで跳べ!
いま一度、全国の「関係者」に乞う。お願いだから、これ以上同じような「被害者」を生み出さないでほしい。そして、今もどこかで発せられている「牧師館からの”SOS”に耳を傾け、可能な限り手を差し伸べてほしい。
(2018月3月1日 キリスト新聞「望楼」)
更生して活躍中の絵本作家も、教会で生まれ育ったことで耐えがたい苦しみと悲しみを背負いながら、牧師である親には気づいてもらえなかったという体験をたびたび振り返る。どんなに敬虔で熱心な信仰者だとしても、自らの非が認められず、いまだその瑕疵を言い繕って、記憶を改ざんしているのだとしたら、そんな親のもとで育つ子どもたちは不憫すぎる。「牧師としてはいい人なのに……」は何の免罪にもならない。むしろ、その実態を誰にも理解してもらえない、信じてもらえないと感じる子どもの絶望がますます深まるだけだ。
親子だからすれ違いは当然ある。牧師の子でなくてもグレることぐらいある。しかし、我々大人たちは教会での奉仕や牧会などに逃げず、まずは己の罪や弱さとしっかり向き合うべきだ。愛すべき「隣人」は目の前にいる。ここがロドスだ、ここで跳べ!
いま一度、全国の「関係者」に乞う。お願いだから、これ以上同じような「被害者」を生み出さないでほしい。そして、今もどこかで発せられている「牧師館からの”SOS”に耳を傾け、可能な限り手を差し伸べてほしい。
(2018月3月1日 キリスト新聞「望楼」)









