なんか週刊誌の中吊りみたいなタイトルになってしまったが……
かつて本ブログの「男女別学で学力向上?」で取り上げた
中井俊已『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』を
取り寄せて読んだ
(読みもせずにあれこれ言うのはフェアじゃないので)。

(学研パブリッシング・2010/7)
極力先入観を捨て、冷静かつ客観的に著者の主張を
読み取ろうと試み、その大要はつかむことができた。
単なる憶測ではなく、自身の経験と地道な取材、
豊富なデータに基づいて丁寧に解説する姿勢は好感が持てる。
私自身、著者と同じく大学まで公立校で育ち、
私立の男子校で教員として奉職した。
しかし、到達した結論はやはり正反対。
以下、私の経験もふまえ丁寧に反論を試みたい。
著者が主張する「別学優位」の中核はこれ
脳やホルモンの働き方などによる男女の違いは、見え方、聞こえ方、発育のペース、人とのかかわり方、感情の表し方、同じ刺激に対する反応の仕方など、あらゆる分野に及びます。男女別学なら、教室あるいは全校を一斉に指導する時も、男子、女子のこのような特性をふまえて、よりきめ細かな指導をすることが可能です。
そして、具体的な共学の弊害とは……
小学生の男子が早熟な女子の知力や体力に劣等感を持ち、やる気をなくすことが多くなっているように思います。男子を前にすると、自分を素直に表すことができず、消極的になる女子もいます。……自分が間違うところ、失敗するところは、異性の前では見せたくないというのが、思春期にある普通の男女の意識だと思います。そのため、理想とは逆に、多くの子はリスクを避け、自分を出さないようになります。
……本来、外見よりもむしろ知性や心という目に見えにくい人間性を磨き育てていく時期においては、それはたいへん残念なことです。その点、男女別学校では、異性の目を過度に気にしなくて良い環境に身を置けます。そのことは、子どもたちが本来、なすべき学習をする上では適しているのです。
先の記事でも指摘したが、本書で子どもが「伸びる」という場合、
どうも(名門校に入学できる)「学力」に偏重気味の感がある。
「進学トップ校のほとんどは別学校」が事実だとしても、
それほど声高に吹聴するようなことだろうか。
東大は共学だし、実社会でも「別学」はあり得ない。
男女の違いは確かにある。
しかし、「違いに即して」「きめ細かな指導」を
強調すればするほど、「習熟度別クラス編成」の
建前(理念)と現実のギャップが脳裏に浮かぶ。
結局は、「格差」拡大を公然と認める口実としてしか
機能しなかった。
「違う」存在が同じ教室で一緒に学ぶ場こそ、
公教育が責任を持って保障すべき環境ではないだろうか。
むしろ異性の目をある程度は気にしつつ、
同性間、異性間の人間関係から生じる様々な葛藤も含めて、
目に見えにくい人間性を学習できる学校であってほしい。
せめて別学か共学かを自分で選択できるようになるまでは……。
ただし、著者が言うように
まだ精神的に成熟していない子どもたちが、
男女で互いに助け合い、協力し合う「理想の姿」に近づくには、
「子どもたちだけでなく、教師たちの並々ならぬ努力が必要」
である。
むしろ別学の方が、教師にとっては好都合のはずだから……。
(つづく)

かつて本ブログの「男女別学で学力向上?」で取り上げた
中井俊已『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』を
取り寄せて読んだ
(読みもせずにあれこれ言うのはフェアじゃないので)。

(学研パブリッシング・2010/7)
極力先入観を捨て、冷静かつ客観的に著者の主張を
読み取ろうと試み、その大要はつかむことができた。
単なる憶測ではなく、自身の経験と地道な取材、
豊富なデータに基づいて丁寧に解説する姿勢は好感が持てる。
私自身、著者と同じく大学まで公立校で育ち、
私立の男子校で教員として奉職した。
しかし、到達した結論はやはり正反対。
以下、私の経験もふまえ丁寧に反論を試みたい。
著者が主張する「別学優位」の中核はこれ

脳やホルモンの働き方などによる男女の違いは、見え方、聞こえ方、発育のペース、人とのかかわり方、感情の表し方、同じ刺激に対する反応の仕方など、あらゆる分野に及びます。男女別学なら、教室あるいは全校を一斉に指導する時も、男子、女子のこのような特性をふまえて、よりきめ細かな指導をすることが可能です。
そして、具体的な共学の弊害とは……
小学生の男子が早熟な女子の知力や体力に劣等感を持ち、やる気をなくすことが多くなっているように思います。男子を前にすると、自分を素直に表すことができず、消極的になる女子もいます。……自分が間違うところ、失敗するところは、異性の前では見せたくないというのが、思春期にある普通の男女の意識だと思います。そのため、理想とは逆に、多くの子はリスクを避け、自分を出さないようになります。
……本来、外見よりもむしろ知性や心という目に見えにくい人間性を磨き育てていく時期においては、それはたいへん残念なことです。その点、男女別学校では、異性の目を過度に気にしなくて良い環境に身を置けます。そのことは、子どもたちが本来、なすべき学習をする上では適しているのです。
先の記事でも指摘したが、本書で子どもが「伸びる」という場合、
どうも(名門校に入学できる)「学力」に偏重気味の感がある。
「進学トップ校のほとんどは別学校」が事実だとしても、
それほど声高に吹聴するようなことだろうか。
東大は共学だし、実社会でも「別学」はあり得ない。
男女の違いは確かにある。
しかし、「違いに即して」「きめ細かな指導」を
強調すればするほど、「習熟度別クラス編成」の
建前(理念)と現実のギャップが脳裏に浮かぶ。
結局は、「格差」拡大を公然と認める口実としてしか
機能しなかった。
「違う」存在が同じ教室で一緒に学ぶ場こそ、
公教育が責任を持って保障すべき環境ではないだろうか。
むしろ異性の目をある程度は気にしつつ、
同性間、異性間の人間関係から生じる様々な葛藤も含めて、
目に見えにくい人間性を学習できる学校であってほしい。
せめて別学か共学かを自分で選択できるようになるまでは……。
ただし、著者が言うように
まだ精神的に成熟していない子どもたちが、
男女で互いに助け合い、協力し合う「理想の姿」に近づくには、
「子どもたちだけでなく、教師たちの並々ならぬ努力が必要」
である。
むしろ別学の方が、教師にとっては好都合のはずだから……。
(つづく)










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