それでも「共学」を推奨するこれだけの理由

それでも「共学」を推奨するこれだけの理由(3)

最後に、どうしても見逃せない部分をいくつか。

 別学校の生徒たちは、むしろ、異性の良くない面をあまり見ていないから、異性に対する尊敬や純粋なあこがれを持ち続けやすいのではないでしょうか。

毎日の学校生活で異性に接することなく、
一方では歪んだ情報の洪水にさらされ、誤った異性観
偏った恋愛・結婚観が形成されていく「不健全さ」については、
やはり考える余地がある。

まして核家族化により、異性の兄弟姉妹
身近にいない場合や、自分のを通してしか
異性を認識できない場合、問題はより深刻化する。

小中高と男子校で育ったという知人は、
大学で初めて異性と同じ教室・空間で授業を受けたとき、
じんましんが出るほどだったと聞いたことがある

さらに……

 昔は、「男女七歳にして席を同じうせず」と育てられました。そのために、私たちの祖父母やあるいは父母は、異性に対して晩手(おくて)だったかもしてませんが、それが大きな問題となったことはないでしょう。

まさに、こうした認識こそが大きな問題では

戦後のある時期、女子に特化した「女子教育」が
女性の地位向上に多大なる貢献をしたことは事実。
海外でも歴史的に大きな役割を果たしてきた。

しかし、同時に戦前から連綿と続く日本の「家父長制」
「銃後を守る国防婦人」「男は仕事、女は家庭」
といった固定概念を構築し、根深い女性蔑視の温床となり、
別学教育はその一翼を担い、性差別の再生産装置として
機能してきたのではないか。

その上で著者は、こうも主張する。

 女子校なら、少なくとも男子生徒のデリカシーのない一言や乱暴でその繊細な心が傷つくことはないでしょうし、このような人間関係の難しさに集中した、きめ細かい指導を行い、見守っていくことができるでしょう。

別学を評価するのは自由だが、美化するのはいただけない

確かに、共学校で異性からの心ない言動に
傷つけられたという人は少なくないだろう。
しかし、私の経験上、残念ながら別学校でも
同じようなシチュエーションは起こり得る。

とりわけ、男子だけ、女子だけのコミュニティが持つ
特有の「空気」がある。
時にそれは、絶大なエネルギーを生み出しもするが、
必ずしも良い方向だけに働くとは限らない。

看護師や保育士の業界が、いまだに
「女性の職場」として敬遠されるワケである。

私が通った公立の男子高校にも
(いわゆる「進学校」で自由な校風がウリだったが)、
「真面目に授業を受けるなんてカッコ悪い
という特異な「空気」が厳然とあった。

教員になってから、担任した男子校のクラスで、
同系列の女子校と実験的に合同の
スポーツ大会を開いたことがある。

もちろん、先方の担任の許可と全面的な協力、
保護者の理解も得た上で実現したことだが、
実に興味深かった。

受け持っていた男子たちが、予想以上に
普段見せたことのない仕草、表情を見せてくれたのだ。
共学でしか発揮できないその子「らしさ」、
共学だからこそ評価される「長所」も確かにある。

もちろん、たった1回の出会いで
しかもまだまだ幼い子どもたち同士だったので、
「ロマンス」が生まれるようなことはなかったが、
別学でも、日常的にこうした交流さえあれば
共学のメリットも享受できるという
かすかな希望が持てたのは事実である。

やはり、男女問わず個人差がある。
別学で「伸びる」子もいれば、共学で「伸びる」子もいる。
当然と言えば当然の結論ではある。

ともあれこの本を通して、自分の抱いてきた
問題意識を改めて整理することができた。
さらにあらゆる角度からの研究が進められることを切に願う。

子どもたちがより多くの他者と出会い、
セクシャルマイノリティも含めた異なる性
互いに尊重し、幸せな学校生活を送ることができるように……。

【関連記事】
男女別学で学力向上?
それでも「男女別学」を勧めますか?

それでも「共学」を推奨するこれだけの理由(2)

他に、著者が別学のメリットとして
あげている点を項目ごとに列挙してみる。

1.女子はリーダーシップを発揮できる
2.男子は女子任せにしないで雑事(清掃など)もできる
3.女子校はしつけ・生活指導をしっかりしてくれる
4.女子校に見られる清潔感
5.たくましい男子が育つ男子校
6.教師のサポート(きめ細かな指導)を受けやすい
7.一生付き合える友だちに多く出会える


つまり逆に言うと、共学では……

1.女子はリーダーシップを発揮できない
2.男子は女子任せにして雑事をしない
3.しつけ・生活指導がしっかりできない
4.清潔感は見られない
5.たくましい男子が育たない
6.教師のサポートを受けにくい
7.一生付き合える友だちにはそれほど出会えない


ということになるが、果たしてどうだろう

確かに傾向としてあるかもしれないが、
非常に偏った、単純な男女観である。

「1」~「3」は教師の指導いかんでどうにでもなる。
別学の方が「指導しやすい」からというだけの
理由では、あまりにも安易過ぎる。

「自分らしくのびのび」という文言が
たびたび繰り返されるが、もちろんこれも
学級経営上の努力によって克服すべき課題。

「4」などは、実際に「異性の目」を気にしなくていい
別学校(もちろん女子校も含め)の汚さを目の当たりにすれば、
美しい誤解はおそらく瞬時に打ち砕かれるだろう

 女子校では、異性を気にし過ぎることで生じる窮屈さから解放され、より自由な雰囲気のなかで、学校生活を送ることができます。男女別学は、それぞれの特性だけでなく、人間として一人ひとりが持つ個性と才能を開花させ成長させるのにより好ましい教育環境だとも言えるのです。

「解放感」あふれた女子校の教室で授業をする
男性教師の苦労と気遣いは察するに余りある
(逆もまたしかり……)

「清潔感に満ちた女子校」は、資金力があって
専門業者が清掃を担っている一部の「お嬢様校」である
(もちろん、例外はあるだろうが)。

極めつけは「5」。
保護者の期待として「3」や「5」があるのは重々分かる。
しかし、男子校で肩身の狭い思いをする
決して「たくましい」とは言えない男子たちを幾人も見てきた。

そしてここにこそ、特定の男子像、女子像を
押し付けることになりかねない別学の危うさがある。

「6」は、別学かどうかより、むしろ
クラスの人数によるところが大きい。
たとえ共学であっても、一人ひとりに目が行き届けば
クリアできる問題である。さらに言えば、
「きめ細か」過ぎることの弊害も忘れてはならない。

最後に「7」。

 一生付き合っていける友だちとして考えたとき、対象となるのは同性の方が多いでしょう。別学であれば、そんな唯一無二の存在となりうる対象がたくさんいて、そこから自分に合う人を選ぶことができるのす。

うーん……ここまで来ると、もはや
思い込みとしか言いようがない。

(次回、最終回につづく)

それでも「共学」を推奨するこれだけの理由(1)

なんか週刊誌の中吊りみたいなタイトルになってしまったが……

かつて本ブログの「男女別学で学力向上?」で取り上げた
中井俊已『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』
取り寄せて読んだ
(読みもせずにあれこれ言うのはフェアじゃないので)。


(学研パブリッシング・2010/7)

極力先入観を捨て、冷静かつ客観的に著者の主張を
読み取ろうと試み、その大要はつかむことができた。
単なる憶測ではなく、自身の経験と地道な取材
豊富なデータに基づいて丁寧に解説する姿勢は好感が持てる。

私自身、著者と同じく大学まで公立校で育ち、
私立の男子校で教員として奉職した。
しかし、到達した結論はやはり正反対

以下、私の経験もふまえ丁寧に反論を試みたい。

著者が主張する「別学優位」の中核はこれ

 脳やホルモンの働き方などによる男女の違いは、見え方、聞こえ方、発育のペース、人とのかかわり方、感情の表し方、同じ刺激に対する反応の仕方など、あらゆる分野に及びます。男女別学なら、教室あるいは全校を一斉に指導する時も、男子、女子のこのような特性をふまえて、よりきめ細かな指導をすることが可能です。

そして、具体的な共学の弊害とは……

 小学生の男子が早熟な女子の知力や体力に劣等感を持ち、やる気をなくすことが多くなっているように思います。男子を前にすると、自分を素直に表すことができず、消極的になる女子もいます。……自分が間違うところ、失敗するところは、異性の前では見せたくないというのが、思春期にある普通の男女の意識だと思います。そのため、理想とは逆に、多くの子はリスクを避け、自分を出さないようになります。

 ……本来、外見よりもむしろ知性や心という目に見えにくい人間性を磨き育てていく時期においては、それはたいへん残念なことです。その点、男女別学校では、異性の目を過度に気にしなくて良い環境に身を置けます。そのことは、子どもたちが本来、なすべき学習をする上では適しているのです。


先の記事でも指摘したが、本書で子どもが「伸びる」という場合、
どうも(名門校に入学できる)「学力」に偏重気味の感がある。

「進学トップ校のほとんどは別学校」が事実だとしても、
それほど声高に吹聴するようなことだろうか。
東大は共学だし、実社会でも「別学」はあり得ない。

男女の違いは確かにある。
しかし、「違いに即して」「きめ細かな指導」
強調すればするほど、「習熟度別クラス編成」の
建前(理念)と現実のギャップが脳裏に浮かぶ。
結局は、「格差」拡大を公然と認める口実としてしか
機能しなかった。

「違う」存在が同じ教室で一緒に学ぶ場こそ、
公教育が責任を持って保障すべき環境ではないだろうか。

むしろ異性の目をある程度は気にしつつ、
同性間、異性間の人間関係から生じる様々な葛藤も含めて、
目に見えにくい人間性を学習できる学校であってほしい。
せめて別学か共学かを自分で選択できるようになるまでは……。

ただし、著者が言うように
まだ精神的に成熟していない子どもたちが、
男女で互いに助け合い、協力し合う「理想の姿」に近づくには、
「子どもたちだけでなく、教師たちの並々ならぬ努力が必要」
である。
むしろ別学の方が、教師にとっては好都合のはずだから……。

(つづく)

それでも「男女別学」を勧めますか?

先に、ブログ記事「男女別学で学力向上?」で紹介した
シンポの様子が、一般紙で報道された。

すでに指摘したように、理解の仕方などにある程度の
性差があることは認めつつも、「だから別学の方が効率的
というのはあまりに短絡的で安易な発想ではないか!?

特性の違う子どもたちが、同じ空間で学び合うことの
教育的意義
については、どうお考えなのだろうか?
やはり、習熟度別に分けて、「できる子はよりできるように
「できない子はそれなりに」という中教審の呪縛から、
いまだ抜け出せていないのだろうか。

だいたい、「“草食男子”が増えた」などと嘆くような
肉食オヤジの管理職は、自身の時代錯誤性を
真摯に反省すべきである


「男女別教育は学力アップ」 シンポで報告 

 男女の違いを尊重した教育は、学力アップの効果が高いことなどが「第1回男女別学教育シンポジウム」で報告された。

 「日本男女別学教育研究会」(中井俊已代表)の主催で、私立校などが協力。10日に東京都千代田区のアルカディア市ヶ谷(私学会館)で初めて開かれた。

 基調講演した中井代表によると、10年前と比べると私立男子高は約4割、女子高は約3割減るなど私立中高などの共学化が進んでいる。一方で開成、灘、桜蔭といった東大合格者の多い学校の9割が男女別学という。

 男女別学で学力が伸びるなど教育効果が欧米でも見直されている。国際学力調査で男子は理数、女子は読解力が高得点など特徴がある。また教師に対し、女子は「自分が大切に思われているか」、男子は「その先生に従っていいか」を重視するなど生徒指導上の違いもあるという。

 シンポジウムでは校長らをパネリストに意見交換。授業を男女別棟で別学教育を行っている桐光学園中・高の伊奈博校長が、主人公の心情を読み取る国語の問題で女子の成績がいい一方、物理の授業で男子が力学について直感的に理解が早い例を挙げ、「男女の理解の仕方に明確に違いがある」と指摘。他の校長からも男女の特性をふまえた指導が効果を上げている事例が紹介された。

 また都立高での経験が長い海城中・高の水谷弘校長からは「(都立で)昭和50年代は生徒会長やクラス委員といえば男子。その後10年は女子が副委員長になり男子を助けたが、いまでは男子は陰に隠れた」と“草食男子”が増えた現状に苦言も。

(2010年8月16日 産経新聞)

男女別学で学力向上?

日本男女別学教育研究会なるものが、
2009年4月1日に発足し、その初の研究会となる
第1回 男女別学教育シンポジウム」が、
今月10日に市ヶ谷で開かれた……ことをネットで知った。

同研究会の「設立趣意」にはこうある(抜粋)。

 欧米では、最近の脳科学の研究や男女間の違いに着目した理論にもとづいて、いま、男女別学教育のよさが次第に見直されてきています。
 ひとり一人の個性を尊重する教育が子どもを伸ばすことができるように、男女の違いを尊重した教育をおこなうことよって、子どもは伸び伸びと学校生活を送り、自分の能力をより伸ばしていけます。
 その新しい潮流は、数年後、必ずや日本にもやってくるでしょう。
 そこで、本研究会は、現在国内外で行われている男女別学教育の良さをいち早く研究し、日本の教育に生かす提案をするために発足しました。
 未来を担う子どもたちの健全な教育に貢献できることを祈願し活動してまいります。


会の「目標」は以下の3点。

★ 男女別学の良さを多くの人に伝えていこう。
★ 男女それぞれの特性に応じた教育を応援していこう。
★ 子どもたちの素晴らしい人間性を高め、
 学力も向上させる提案をしていこう。


おもな活動内容」としては、

1.男女別学教育についての国内外の
  新しい情報を収集し、研究・調査をする。
2.研究・調査によって得たことをもとに、
  会報(メルマガ)・論文・書籍を執筆し発行する。
3.各マスメディアを通しても、一般の方に
  広く関心をもっていただくために、
  研究報告会・積極的な取材協力をおこなう。


同研究会の中心になっているのが、先月の本を
出版した中井俊已氏。


中井俊已『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』
(学研パブリッシング・2010/7)


「男女別学をすすめる」といっても、
男女共学を否定するものではないらしい。

「ひとり一人の個性を尊重する教育
子どもを伸ばすことができるように、
男女の違いを尊重した教育を行うことよって、
子どもは伸び伸びと学校生活を送り、
自分の能力をより伸ばしていけます」

著者自身は、大学まで男女共学の学校で学び、
特に不満をもったことはないものの、教員として23年間、
小・中一貫教育の男子校で勤めてきた経験や
隣接する同じ学園の女子校の様子を
見聞きすることなどから、男女別学の良さについて
知るようになったという。

そして、現在の公教育のあり方を憂いつつ、
次のような考えをもつに至る。

1.男女別学教育によって、男女の違いを
  尊重した教育ができ、子どもたちの良さをより伸ばせる。
2.子どもたちが互いに異性を敬い
  大切にする心と態度が育つ。
3.男女の違いを考慮した授業ができ、
  子どもたちの学力がより向上する。


著書の帯にあるように、
東大合格トップ校の9割が男女別学、
イギリスでも、学力トップ校の9割は男女別学
…というのも、主張の根拠になっているようだ。

さて。ここからが松ちゃん'sおぴにおん

同じく教員として、国内でもまれな男子小学校に勤めた
経験から、私はまったく正反対の考えに至っている。

1.男女共学教育によって、男女の違いを
  尊重した教育ができ、子どもたちの良さをより伸ばせる。
2.共学でこそ、子どもたちが互いに異性を敬い
  大切にする心と態度が育つ。
3.共学でこそ、男女の違いを学校生活全般を通して学び、
  子どもたちの人間性、ひいては親としての資質がより向上する。


もちろん、小・中・高という段階によって
意味合いが異なってくると思われるが、
少なくとも子ども自身である程度の選択・判断
できるまでは共学であるべきだと思う。
せめて義務教育までは…。

周知のとおり、別学は主に私立、しかもキリスト教系の
いわゆるミッションスクールに多い。
確かにこれらの学校が、女子教育の分野で果たしてきた
歴史的な役割は大きい。

かつて、カトリックとプロテスタントの私立学校合同による
懇談会で、東京女子大学の湊晶子学長(当時)が
「今、あえて何故女子教育か」と題して講演したことがあった。


湊晶子『今、あえて何故女子教育か』
(ドン・ボスコ社・2007/2)


この中で湊氏は、女子教育の果たしてきた役割は
論じつつも、今なお別学であることの意義については
ほとんど触れられなかった。

かろうじてそれに言及しているのは、以下の箇所。

 最近良妻賢母思想が形を変えて現代女性の内面に息づいているように思えてなりません。女性同士ですと何事に対しても甘えはなく、むしろ厳しさがあり、かえって自信とリーダーシップが育ちます。女子大学はビジョンとパッションをもって自分の可能性やミッション(使命)を探すことができる場でもあります。甘えから解放されてどのような状況に置かれても責任が取れる人間力のある女性でなければ多様性のある女性のキャリアを全うすることは不可能でしょう。キリスト教に立脚したリベラル・アーツ教育、人格教育は、それを可能にするのです。

確かにそういう一面はあるかもしれないが、
これですら「女性同士だから…」と言い切れる
科学的な根拠は薄い。

奇しくも、同じ「懇談会」のパネルディスカッションにおける
田中弘志氏(女子学院院長)の発言が、そのことを証明している。

「しかし、間違ってはいけないのは、女子教育の方が共学より優れているということではない。女子教育もあるし、共学の教育もある。生徒がそれを選ぶということが大事である」

そもそも、子どもの学力(成績)」が伸びることを
「別学の良さ」として喧伝することには大いに違和感を覚える。
東大合格者に別学の出身者が多いのは、
地方のいわゆる「進学校」(主に公立)がいまだ共学化に
踏み切れていない現状の反映だと思われる。

私自身、高校時代の3年間は男子校で過ごしたが、
それはあえて別学を選んだわけではなく、
他に選択肢がなかったからである。

さらに言えば、国籍や家庭環境、思想・信条、
興味・関心、心身の発達度合いが異なる子どもを
異なる学校で教えることが「違いを尊重」する
ことにはならないように、異なる空間で学びながら、
男女の違いを「尊重」できるわけもなく、ましてや
身近に存在しない異性を「敬い大切にする心と態度」など、
どうやって育てるというのだろうか。

この意味において、今あえて「別学がいい」と
主張することにどれほどの意味があるのか。

むしろ、面倒な気遣いや緊張感もありつつ
(教師にとっては「余計な」生活指導の手間も増える?)、
日常的に異性と接する中で、他者を理解し、
自らの「性」を客観視できる自律した大人を育成することこそ、
国際化の時代において、「未来を担う子どもたちの健全な教育
と言えるのではないだろうか。
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