2010/05

水浴びシーズン到来

暑くなったり寒くなったり、不安定な天候が続いてますが、
季節は初夏

…とゆーことで、近所の荒川遊園まで行ってきました。
こじんまりとした敷地の中にいろんなものが凝縮されているので、
子連れにとってはありがたいお出かけスポットです

今回は、生まれたばかりという白鳥の赤ちゃんを見た後、
ミニ動物園のサルにえさをやり、ミニSL、
ゴーカート、メリーゴーランド、観覧車と、ひと通りこなしました
(相変わらずミニコースターは怖いらしく、
以前一度だけ乗ったきり見向きもしません…


マイカーでドライブを楽しむ夫婦?
「あなた、安全運転でお願いね

しかし、やっぱり一番盛り上がってたのはこちら


安上がり

水際でおにぎりを食べながら、
こぼれたご飯つぶを懸命に運ぶアリンコにも
夢中になってました

つくづく、遊べる自然環境
もっと身近にあるといいな~と思いました。
夢の里山保育 この近くじゃ無理かなぁ。

いじめるな!―弱い者いじめ社会ニッポン

この間、ご縁のあるつながりで香山さん、
辛さんの共著から……。


香山 リカ・辛 淑玉
『いじめるな!――弱い者いじめ社会ニッポン』
(角川書店・2008/3)


本書の主張は明快である。
加害に向き合うことでしか、問題は解決しない」。
だから、「被害者に『ガンバレ』ではなく、
いじめている者に『いじめるな!』と言うべきなのだ
」。

弱者に優しくない」社会構造を、経済、教育、医療などの
面から分析、提言している。
中でも、「閉鎖空間の中で壊れる教師」についての言及は、
他人事とは思えず興味深い。

 閉鎖された空間の中で、何か感覚が麻痺していくんじゃないの。教師というのは教室の中で唯一、特権を持っている存在。誰に何を命令することもできる立場。特に、教室を出ると、保護者だ、校長だ、教育委員会だと、いろいろなところから締め付けられるから、教室でいつもいばれる環境は気分いいんだろうね。集団で弱い者いじめをするとき、加害者は連帯感を感じてどんどん楽しくなる。いじめの親玉としてそこに快感を味わってしまうようになったら、これはタチが悪いよ。

 それに今の子どもたちはおとなしく授業なんか聞いちゃいないから、子どもに受けなきゃいけないと考える。人気取りがしたいという気持ちもあるだろう。

香山 子どもに喝采されると、「ウケてる」と思っちゃう。

 「先生、先生」って言われて、みんなやっぱり変になるよね。

香山 そこは医者も同じかもしれないけど(笑)。

 昔は先生と呼ばれる職業は表だけでも人格者がなるものと思われていたが、今の先生稼業はそうじゃなくて、裏も、表も透けて見える。政治家を見てみればいい例だけど。

香山 地域の開かれた学校を目指す、とかよくいいますけど、実際には全然開かれていない。地域の人たちの協力を得て、子どもたちの視野を広げようなんて言っても、その一方で侵入者を防ぐために、校門に監視カメラつけて、門扉を閉ざしている。今、小学校の約一割に警備員がいる。国立の付属小中学校においては、池田小の事件があってから完全に警備員配備体制になっているそうです。

 そうだね。開かれた学校といいながらまったく開かれていない。それから親とまともに対応できる先生がいない。家庭も崩壊し、学校も崩壊し、すべての社会のひずみが子どもにいっている。その中で、うまい人間関係に出会えなかった子たちはほんと救われない。

 家庭も学校も、全体的に社会というものが今までよりもキューッと小さくなっている感じがするね。小選挙区になっていく感じ。もう少しアバウトだったときには、多少仲間はずれにされても生きていく空間があったけど、今はものすごく狭い世界にみんな凝縮し、そこから外れちゃったらもうダメ。そう、社会全体の小選挙区制だね。


「学校」を「教会」に、「先生」を「牧師」に置きかえて
読んでみると、共通の課題が浮き彫りになるような気がする。

親子クッキング サンドイッチ編

「ばばばあちゃん」でおなじみの
さとうわきこさんの絵本


『サンドイッチつくろう』(福音館書店・1993/9)
またまた触発されて、「今日の夜はサンドイッチがいい!」
と宣言した長男ザウルス。
保育園でも時々お料理ができる
お年ゴロになったので、やる気満々

ちょうどカノジョの帰りが遅い日でもあったので、
保育園の帰りに材料を買いそろえ、
父子3人で、いざクッキング開始

何分、几帳面なザウルス君の性格上、
食材の切り方から、盛りつけの仕方まで
絵本と同じじゃないと気がすまないらしく、
いちいち照らし合わせるのに苦労しましたが、
長女ラプトルにもできるようなゆで卵の皮むき、
輪切り、レタスちぎりなどを任せたら大はりきり


子ども用の包丁でトマトも切ったので、
十分「料理したゼ」という満足感もあったよう。

材料を切ってテーブルにそろえたら、これまた
絵本と同じように、それらをパンにのせ、
顔の形を作ってみたり、重ねてみたり。

では、いよいよ…いただきま~す

…という段になったら、

案の定、生野菜をはさんだパンには
目もくれず、大好きなジャムをパンにぬって
食べてました

「やっぱり、自分で作るとオイシーね


…って、おいっっっ


まぁ、半ば想定内の結末なんですが
結局、メインのサンドイッチはほとんど父が
たいらげました。好きだからいーけど…。

野菜もしっかり食べよーね!

ウェブ連動式 管理職検定

書籍とインターネット上の検定システムを連動させた、
新しい仕組みの管理職研修サービスとして
ウェブ連動式 管理職検定が始動した。

今、管理職が悩んでいることに応え、
現場で通用するコミュニケーション力と
マネジメントスキルを“体で覚える”ことができる

というのが売り。

具体的には、企業としての立ち位置(CSR)、
人間性に基づく人事の考え方(人事とコンプライアンス)、
多様な他者に対する言葉の使い方(差別語・不快語)、
時代に沿った新しい価値観を獲得するための
ハラスメントの基礎知識と行動様式(パワハラ・セクハラ)、
他者に対するケア(メンタルヘルス)とサポート(職場復帰支援)、
非難を浴びたときや組織としての危機に際しての
コミュニケーション能力(クレームコミュニケーション)などの
諸分野について、多彩な講師陣によるテキストを読み、
正しい知識と考え方を学んだ上で、ウェブ上の検定を受講し
自分のクセや間違いをチェックするというシステム。
また、検定の合格者に向けて、そのテーマにおける
サポート情報も提供されるという。

先日、辛淑玉さん(人材育成技術研究所)からのお誘いで、
プレス発表会の取材にうかがった。


登壇者は、第1弾のテキスト『メンタルヘルス』を担当
執筆した香山リカさん(精神科医)。

すでに、7月に開かれる「Ministry」セミナーの特別講師も
引き受けていただいており、精神科医の枠を超えて活躍中だが
会見の席上、こんな発言をされていた。

 私は病院で15年ぐらい仕事をして、10年ぐらい前に大学の教員になって、ここ3年ぐらいは企業の健康相談室に行って、働く人たちのナマの相談を受けることもあります。病院とも大学ともまったく違う場での仕事なので戸惑うかと思ったんですが、喜ぶべきか悲しむべきか、病院でも大学でも企業でも、患者さんたちが抱えている問題の背景は、立場や年齢が違っても驚くほど連続性があるんです。ああ、ここもそうなのかという感じで違和感がない。現代社会を生きる中で人々が抱えている問題――他者とどうつきあうか、他者とのつきあいの中で「私」がどう生かされるかということは、非常に共通しているという実感があります。

そしてこれは当然、教会でも同じことが言える。
牧師は「管理職」ではないが、副牧師や伝道師を抱えた
教会では、類似の役割を担わざるを得ないし、
まして付属の幼稚園や保育園を持つところでは
なおさらその色が強くなる。

無論、社会的な「常識」や規範、企業の論理をそのまま
教会に導入することはふさわしくない。
しかし、同じ人を相手にする職業(業界)として、
少なくとも世間サマでいま問題となっていること、
さらにその問題をクリアしていくためにどのような研修と
システムが必要とされているか
ぐらいは、参考にしても
いいのではないかと思う。

その上で、神学的な見地からさらに肉付けし、
教会独自の対策を練り上げる必要があるのではないか。
そうであればやはり、メンタルヘルスをはじめ、パワハラ・セクハラ、
差別語・不快語、クレームコミュニケーションといった分野は
教会や神学校教育にとって、避けられない課題になるに違いない。

遺された我が子へ

この間、期せずして共通するテーマの本に出会った。
それは、余命を宣告された親の我が子へのメッセージ。


クリバリ・ユミコ『乳がんだって 生きていく あたし』
(いのちのことば社・2009/9)


著者のクリバリさんは32歳で乳がんが見つかり
翌年に手術。その後、離婚再発という苦難を経ながら
母親と友人の影響もあり受洗
初の著書となるこの本を世に送り出し、
これからいよいよ仕事に本腰を入れようとしていた
今年3月21日、中学3年と小学6年の娘を遺し、
42歳の若さで亡くなった。
母として、人としての未熟さをさらけ出しながら
最後まで希望を捨てない生き方に感銘。


テレニン晃子『ゆりちかへ――ママからの伝言』
(書肆侃侃房・2007/10)


こちらは昨年、「遺していくゆりあへ――ママのかけた魔法
とのタイトルで放映された母親による手記。
晃子さんは妊娠4カ月で脊髄のがんが発覚。
抗がん剤を使えば赤ちゃんは助からないが、
使わなければ母は長く生きられない。
母の下した決断は、自分の命より
赤ちゃんの命を優先すること……。

残されたわずかな時間を費やし、
おしゃれ・学校・恋・sexなど、
生まれた愛娘の将来のために、
語っておきたいことを書き綴った。
出産から2年後の2008年2月25日、36歳で亡くなる。
母として、親としての責務を果たしたいという
一途な願いと、娘の成長を見守ることのできない
無念さを思うと胸がつまる。


柳沢恵美著/久保田明子イラスト
『ポケットのなかのプレゼント』(柳沢徹・1998/10)


毎年の誕生日、我が子へのプレゼントを
ポケットに入れるうさぎの夫婦の物語。
そのプレゼントに込められた親の願いが
何とも言えずあたたかい
こちらも1999年、「ありがとう。ごめんね――
お母さんが残した誕生日カード
」とのタイトルで
放映された。前書と重なる部分も多い。

著者は、日本福音ルーテル教会の牧師家庭に育ち、
看護士となった後、カトリック信徒である医師の徹さんと結婚。
2人の子どもに恵まれるが、乳がんの肝転移により
1997年11月、9歳と7歳の愛息を遺し36歳で亡くなった。
この絵本は、余命わずかと知った夫婦が
残された時間をいかに使うべきかと考え、
話し合った末に決断し、作り上げたもの。

延命治療ではなく、残された日々を生きていく質
深めるため在宅ホスピスを選択し、介護する
家族・親族とともにがんと向き合い
生と死を直視していく歩みが、母・藤井禮子さんの手記
『死を恐れる人たちへ――がんを受容した娘の生き方』
(講談社・2000/9
)にも詳述されている。

恵美さんが最期に書き残したノートには、
子どもたちへ向けてのこんなメッセージが綴られていたという。

「大切なことをお話します。お母さんは、今も生きています。
体は病気なので、火で焼いて骨になりますが、命は生きています。
聖(しょう)と基(もとき)がお母さんのことを思うと、
その瞬間にお母さんの命はあなたたちの
心の中に入ってきて抱いてあげます。
お母さんの命は天を飛び回っているのです。
生きた体でいると、お母さんは一人だけだけれど、
天国にいると、体が自由にどこへでも飛んで行くことが出来るのです。
天国はとても良いところです。
お母さんが子どもの頃から想像していたとおりです。
お母さんは神様にご挨拶し、イエス様にお礼を申し上げます」


実はこの絵本、クリスチャンではない義母が
機会あるごとに知人にプレゼントしていたそうで、
我が家でもいただくまでは存在すら知らなかった。

本を通しての、新しい「出会い」に感謝。
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